1.英国鉄民営化の破綻
今から8年前の1993年,鉄道のご本家とも言うべき英国鉄は経営を抜本的に見直すべく,世界の鉄道関係者注目の下に完全に民営化に向かって動き出した.こう言えば聞こえが良いが,英国の鉄道はもともと民営であったものを,戦後,労働党政権が炭鉱や電力等と共に国有化したのである.だから,当時の失政を正すための施策というのが本来の言い方である.もっとも,日本の鉄道も,明治時代は東北線,中央線,総武,山陽線並びに四国及び九州全線などは民営であった.JR東日本のドル箱路線である山手線は東北本線の支線であるから,もちろん,民営であった.さらに太平洋戦争末期の昭和19年には,当時順調な経営状態にあった南武線,青梅線及び五日市線なども軍関係の強い要求を受け国有化した.戦争の最中であったとは言え,その時の手法は国家権力による私有財産の強奪とも言える程に過酷なものであった.だから,日本で行なわれた国鉄の民営化・JR化は英国と同じ様に,国のかっての失政を正すものと言えなくもない.
話を英国に戻そう.英国鉄民営化から8年たった今年の10月はじめ,新聞は駅や軌道などのインフラ所持会社である「レール・トラック」が英国高等法院の破産宣告を受けたことを伝えた.レール・トラックは英国鉄の民営化後の鉄道を担う中枢的組織であり,破産はとりもなおさず,英国鉄民営化の完全な破綻を意味する.そこに至る経緯について見てみよう.
2.英国鉄民営化の方法
英国鉄の抜本的改革と称して提案された形態は,欧州の他の鉄道で行われている経営の「上下分割」とは大きく異なるものであった.当時,EUは国境を通して鉄道輸送,特に貨物輸送が官僚主義的な各国国鉄の下でうまく機能しないのを憂慮して,欧州鉄道の上下分割の実施を強く求めていた.しかし,当時,これを実施したのは上下分割のご本家であるスエーデンだけであった.だから,当時は「鉄道の上下分割はうまく行くのか」ということに議論の焦点が絞られていた感があった.
ところが,実際に英国で提案された方法はスエーデン方式とはかなり異なり,鉄道組織の徹底的な細分化であった.
これを要約すれば,
〇車両や施設を保全する工場,機関区,電車区,保線区,信号・通信区,電力区などは別会社とし,さらに地域分割する.
〇車両は3会社に分割・所持させる.
〇主なルート毎の列車運転を担う25の運転会社を設け,乗務員を所属させる.
〇運転会社は期限付のフランチャイズ方式で民間に入札させ,権利を得た会社は車両を借りて列車を運行する.
〇駅・鉄道施設はレール・トラック1社のみが所有し,指令と駅務員を所有し,さらに,ダイヤ調整と車両などの規格審査を行う.
この案に対し,複雑多岐にわたる鉄道組織細分化は実務遂行の面だけなく,レール・車輪という鉄道固有の技術的な現象を一元管理する機構の喪失を危惧する技術面からの反対論や,更には,契約作業の急増はその業務を独占することになる法律家を太らせるだけだ等の多様な根強い反対が鉄道関係者から出た.しかし,小さい政府を目指すサッチャー政権の下で政治家は,このような意見に「鉄道経営は鉄道の専門家でなくても出来る」,「鉄道幹部は鉄道実務を知る必要はなく,見識を持っておれば十分」と主張して鉄道専門家の危惧を一蹴した.そして,英国鉄は100に近い会社に分割されて性急に売却された.そして,働き盛りの経験豊富な専門家の多くは鉄道から放擲された.
その後,スエーデン以外の欧州の国鉄も,英国を見習えとのEU官僚の強い指導の下に経営形態の変更と上下分割を終えている.しかし,新たに発足した鉄道の経営形態は国によって多様に異なり,上下の経営を完全に分離したのは北欧3国,ドイツ及びオランダくらいであって,上下分割の格好だけをつけたスイスや,最後まで上下分離に反対して,最終的にはスイスに近い形をとったフランスなどもある.そして,インフラを所有する事業体が完全に民営されたのも英国だけである.上下分割のご本家スエーデンのインフラは国有・国営で,他の諸国もインフラの殆どは公共企業体が所持している.列車運転会社の多くも公共企業体である.
3.民営化後の英国鉄道
英国鉄民営化に伴って最も心配された運転会社の売却は,思った以上に順調に進み,航空,海運及びバス会社だけでなく,外国から仏国鉄系列の会社や米国貨物鉄道が競って入札に加わった.英国の東海道新幹線とも言うべきロンドン・エジンバラを結ぶ西海岸幹線は著名なバージン航空グループがプレミア付で権利を得た.旧国鉄の売却は,現場を持つ事業体だけではなく,乗車券予約管理部門や本社技術部門などについても行われ,その一部は,コンサル会社として国鉄OBが設立した会社に売却されている.
民営化後の経営は極めて順調に見えた.と言うのは,フランチャイズに参画した運転会社の多くの契約期間は7年の短期だったので,今後の契約更新が有利になるのを期待して,車両を新製し,更に,自分が使う用する線路の改良工事費一部負担に応じる姿勢を見せた.さらに,積極的な列車増発などで,民営化後の旅客貨物ともに増え,旅客は年率7%の割合で増加し,民営化は順調に滑り出した.このような背景からレール・トラックの株は売り出し当初3.9ポンドであったものが一時の最高値は5倍近くに達した.
|