地下鉄脱線の真因を探る
No.6 営団地下鉄事故原因調査中間報告を見る

1. 衝撃的な内容

 早いもので,あの事故から5ケ月が経過した.警察による捜査に並行して運輸省事故調査検討会の手で行われてきた事故原因調査の中間報告が,この度,なされた.この調査は鉄道事故について「事故再発防止のために広い視点から調査する体制」が現存しない状況(このような状態を放置したこと自体も大きな問題なのではあるが)を改善するために,運輸省鉄道局長の「私的諮問機関」として最近設けられたものである.従って,調査について法的根拠があるわけではなく,調査メンバーに専任者がいるわけでもなく,更に限られた陣容で行われたものであるから,率直にいって内容や調査方法に問題があると思われる点も少なくない.とは言っても,従来に比べ鉄道事故についての行政のスタンスが大幅に改善されたことは評価すべきであろう.関係個所でろいろと論議を呼んでいる報告書の中身については,別の機会に論ずるとして,今回は,この報告書で指摘された事柄の裏に潜む問題を論じて見たい.というのは,報告では多くの鉄道を運営するために必要な技術水準が保たれているのかどうか疑わしくなるようなことが指摘されているからである.それらの問題のうち,車両及びレール・車輪間の問題二つについて述べて見よう.

2. 台車の旋回特性

 初っぱなから専門的な話になって恐縮であるが,脱線した台車の「回転特性」(報告書は「台車空気バネの台車転向に対する剛性」とあり,以前は「台車の旋回特性」と呼んでいたこともある)の悪さが,脱線の要因になった可能性を報告書は指摘している.先ずは,この問題について述べてみよう.

2.1 台車支持方法と旋回特性

 電車の長い車体が曲線を通過するとき,車軸が細長い車体と一体になっていると,急カーブは曲がれない.そこで,4つの車軸は2本づつ,前後二つの台車で束ねられ,カーブに入ると,図のように二つの台車で束ねられた車輪は曲線に沿って走れるように,通称「心皿」と呼ぶ台車中央部を中心として回転する.


ボギ-車の概念図(作図金沢工大永瀬研究室 坂原洋行)

 このような構造の車両をボギー車といい、 この時に台車が動く運動を旋回又は転向運動と名付け、台車の回転しやすさを旋回,回転又は転向特性(以下には「旋回特性」なる用語を用いる)と呼ぶ.
 台車設計のポイントの一つは旋回特性を適正に保つこととされる.旋回特性が悪ければ,レールや車輪の磨耗が増加したり,極端な場合にはカーブを曲がりきれずに脱線する可能性がある.逆に旋回特性が良過ぎると,高速走行時には台車が踊りだして(激しい「ダ行動」を起こして),やはり脱線の危険がある.高速域で台車が踊らず,しかも,カーブで脱線などの問題が起きない適度な旋回特性を与えるは難しい.このため,適正な旋回特性を台車に与えるべく,台車と車体とを結ぶ方法(台車支持方式)について,いろいろな方法が提案されてきた.

 2.2 高速化以前の台車支持方式

 昭和20年代末までの日本の台車のほとんどは,心皿だけで支持する1点支持方式であった.この方式では,車体側の下部に取り付けた太い丸棒の形状をした「上心皿」を台車中央部の丸穴(下心皿)に嵌め込んで車体と台車を結合する.このような,構造の台車は高速時にはダ行動を大変起こしやすい.筆者は昔から高速運転で名を馳せた京阪神を走る電車を保守する工場に勤めていたとき,戦前に作られた特定の電車(その多くはクモハ54型)は高速で激しいダ行動を起こすことで有名で,乗客からの苦情も絶えなかった.乗務員の話では,極端な場合には乗っている乗客が怖くて隣の電車に逃げだすケースもあったとされる.八方手を尽くして原因を調べた結果,本来は底辺が円筒形状となっているべき上心皿が,長年の使用による磨耗で「すりこぎ棒」のように丸くなっていた.この上心皿を削り直した結果,激しいダ行動がピタリと納まった経験がある.ただ,このような現象を起こすほどに高速で走っていた鉄道は,当時は限られており,大きな問題になるケースは少なかった.  

 2.3 阪神電鉄の3点支持方式についての研究

 昭和20年代の後半から鉄道の高速化が始まると,従来の台車支持方式の欠点があらわになった.この問題について先兵を切って研究を行ったのは,当時,電車について最高技術をもつとされた阪神電鉄である.当時の国鉄車両関係者は,電車を機関車より1ランク下の車両と見下す風習があり,電車に差ほど技術的な力を入れていなかった.多くの優秀な技術者を擁する同社では,戦前に米国ミルウオーキー鉄道が3点支持台車を同鉄道の看板である大陸横断列車「ハイアワッサ」に導入して成功を収めたことに着目し,自らの手で台車を改造して実験を行った.ここで得た成果を当時,画期的といわれた3000形特急電車に導入した.
 当時の記録を繙く(ひもとく)と,心皿及び左右の側受を使った「3点支持方式」について,側受にどの程度の荷重を与え又どのような材料を使えば,適正な台車の旋回を抑止する抵抗をつけることが出来るか,さらには,車輪フランジ磨耗,ダ行動及び乗り心地などとの関連ついて,多くの現車試験を踏まえて詳細に論じている.その成果は,現代の台車の設計や保守にそのまま通用する大変優れた内容である.
 その後,3点支持方式は日本の鉄道における台車支持方式の主流となり,国鉄の特急こだまや国鉄通勤電車さらには多くの民鉄で採用された.

 2.4 その後の台車支持方式

 昭和30年代の後半に各鉄道が高速化を競って推進するようになると,この方式に変わる適正な旋回抑止力を持つ新しい構造の台車が次々と提案された.その過程では,国鉄,メーカー,さらには一部の研究熱心な民鉄などをも加わって,実に多様な研究が行われている.その途上で提案された筆者の記憶に残る主な項目を挙げれば,以下の通りとなる.

 阪神電鉄提案のテフロン系側受支持材料の導入
 側受支持部へのバネ及び防振ゴムの導入
 ED60・61電気機関車でボルスタレス台車の採用
 汽車会社提案の大径心皿方式の試用(その後の国鉄特急,急行電車で全面採用)
 ED72電気機関車でバネ横剛性(3点支持全面廃止)台車の登場
 空気バネ横剛性を利用した住金ボルスタレス台車を営団半蔵門線で試用
 ダ行動抑止のために高速台車への旋回運動抑止ダンパ(ヨーダンパ)の導入

 この変遷をみても明らかなように,現代の電車台車の主流であり,今回の事故電車でも使われているボルスタレス台車開発の過程では,営団も住友金属と共同でいろいろな試験や研究を実施している.
 そして,この台車を含めての前述の新しい台車を開発するに際しては,当然,昭和20年代末期から30年代の始めにかけて阪神電鉄の技術者が心血を注いで研究した台車の旋回特性と同じような詳細な検討がなされていることであろう.

 2.5 事故台車の旋回特性

 今回の報告書では,台車旋回特性に深く関与する空気バネの横剛性について,事故電車の値は日比谷線に乗り入れる他社の電車のそれに比べ大きな値であることを明らかにした.そして,このように横剛性が固い空気バネでは恐らくは旋回特性も悪く,それがのり上がり脱線の一因となった可能性を示唆している.しかし,報告書では事故車の空気バネ横剛性の値や,対象とした他社電車の空気バネ横剛性の値については示してはおらず,さらに,台車の旋回抵抗や,これがのり上がり脱線に及ぼす影響までは言及していない.
 もっとも,空気バネ横剛性の固さを和らげるための仕組みが空気バネ上下取付部に挿入されている場合もあるので,今回指摘されたように空気バネの横剛性の固さが必ずしも台車旋回特性に比例するとは限らない.さらに,対象とされた他社の空気バネ横剛性や,台車旋回特性が逆に過少すぎる可能性も残されている.しかし,今回の指摘はこのような問題点について充分な検討をした後に発表したものであろう.
 とするならば,この台車の機能には根本的な問題があったことになりかねない.つまり,電車の基本的仕様の決定や製作に関与した多くの関係者が,長い間にいろいろな研究が行われてきた台車の基本的な機能について留意していなかったことになる.鉄道には多くの技術が導入されており,鉄道に関与する技術者の全てが,このような詳細な技術を知悉している必要はないけれども,少なくとも,電車の台車設計に関与する当事者は当然にそのことを心得て置かなければならないのにである.
 台車を製造した住友金属は,さきにも述べたように,空気バネを用いたボルスタレス台車の第一人者である.そして,営団はその過程でボルスタレス台車の優れた性能に着目して,その提案を積極的に取り入れ,多くの現車試験を実施している.つまり,営団はこの台車についてわが国で最も深い造詣を持つ鉄道である.だから,筆者も報告書の指摘が当を得たものかどうかは,実の所は半信半疑である.もし,指摘が当を得ないのであるならば,是非,積極的に意見をのべて頂きたいと思う.

3.輪重偏差

 車輪がレールを踏みしめる力(輪重)に左右車輪間で大きなアンバランスがあった場合は,のり上がり脱線脱線の可能性が高まることは、 先の「鉄道を斬る.No.11」 の「地下鉄脱線事故の真因を探る−車両側の原因は何か−」で述べた.非常に注目されるこの輪重値について,報告書では関係する輪重値は所定値に対して以下の値にあったことを明らかにした.

 最初に脱輪した8両目第1軸車輪の値は新製時に0.90であった.
 脱線した車両の最後部輪軸の左側(脱輪した車輪と反対側)の車輪)のそれは0.79であった。
 日比谷線営団車の全輪重を実測した結果,輪重の最小値は0.72であった.
 同線に乗り入れるA社電車の輪重を実測した結果,0.90以下のものはなかった.

過去の車両側に起因するのり上がり脱線の多くは著大な輪重差にあったことは先の「鉄道を斬る.No11」でも触れた.脱線の危険性が高まる輪重差の限界はレールや車輪の状態により多様に変化する.一般には0.65を下回った場合には,その可能性が極めて高いことが過去の研究や脱線事故調査の結果,明らかにされている.脱線した車両の実際の輪重は「闇の中」であるが,脱線した電車の新製時の輪重値データを調べた結果,一部ではあるが限界値と遠くない車両があったこと及び営団車全部の輪重を実測した結果によると,限界値に限りなく近い値の電車があったとされていることは注目に値する.そして,A社(東急のこと−筆者注)の電車については輪重偏差が非常に小さいことも又注目に値する。東急は過去に自社線で起きた乗り上がり脱線の一因は、顕著な輪重差にあったことから,工場出場車の全ての輪重管理を実施している.もっとも,今回,運輸省が実施した輪重測定法は止むを得ない理由で簡易な測定法によっているために,測定値に高い精度は期待ではないから,若干の誤差が含まれている可能性があることに留意する必要がある.
 ところで,車両の輪重偏差は車種,車両の構造及び車両の整備状態により大きく異なる.僅かな輪重差があっても牽引性能に顕著な影響が出る機関車は全般検査実施時に厳重な輪重測定を実施しているので,偏差は非常に小さい.輪重偏差が走行安定性に大きく影響する貨車も同様の管理が行われているので,同じであろう.しかし,それ以外の鉄道では新製時に行われる輪重測定以外に,積極的な輪重管理を行っている鉄道は多くはない.
 なぜ,このように電車などであまり輪重の管理を厳密に行っていないのかと言えば,輪重差が機関車のように走行性能に大きな影響を与えないこと及び軸バネにコイルバネを使った車両は所定の整備を実施しておれば,改造を行ったり,事故などで車体や台車が大きく変形しない限り軸重が変わる可能性は少ないからである.ここで言う「所定の整備」とは,さきの「鉄道を斬る」で述べたように,輪重に密接に関係する軸バネ,枕バネ及び側受の上下に挿入されている薄い鋼板(ライナ)を変えないこと,つまり,整備を行う際,これらの鋼板を従来通りに挿入することである.  もっとも,このような方法だけでは輪重に問題が出る可能性のある車両も実際には存在する.そのような車両の多くは軸バネに防振ゴムを使用している台車である.この種の台車では径年変化又は走行による発熱の影響でゴム硬度が変化し,これに応じて輪バネ定数も変動する場合があり得るからである.筆者もある鉄道工場勤務中に,軸バネにゴムを使った機関車の中には出場時に台車の水平調整を厳密に実施しても,試運転から戻ってくると台車が傾いているので困ったことがある.このような現象はゴムを使ったバネ系の管理が難しいことの証である.
 幸いなことに,今回の事故車は軸バネには金属バネを使っているので,事故で最初に脱輪した輪軸の輪重偏差は,特別の事情がない限り新製時と大きく変化している可能性は少ないと思う.ただ,ここで筆者が意外に思うのは,新製時に輪重差が2割を越えた状態で出場している車両や,測定誤差があり得るとは言え実測輪重値の偏差が非常に大きい車両が存在することである.特に実測輪重偏差が大きい車両については,新製時の偏差がどの程度であったか,さらには,車両を整備する際に特別な問題がなかったかどうか,気になる.

 4.鉄道技術及び技量のレベル低下の懸念
 本稿の前半で阪神電鉄の例を挙げてのべたように,昭和30年代には国鉄だけではなく,幾つかの技術に熱心な民鉄の手によっても鉄道の基礎的な研究が盛んに行われていた.ところが,近年はこのような気風が廃れ,のり上がり脱線現象やレール・車輪接触の問題などの鉄道固有の,しかも,重要な研究にどの鉄道もほとんど力を入れていないことが、今回の事故で明らかになってしまった.
 このような問題について筆者は「鉄道を斬る.No.5−ドイツ新幹線惨事の背景」の項で,日独両国の鉄道共々に鉄道固有の基礎研究が最近はなおざりにされていることを憂え,ドイツ新幹線事故にもこれが影を落としている可能性のあることを述べた.不幸にして筆者の杞憂は的中し,ドイツ新幹線事故について検察当局は,当時のドイツ国鉄の弾性タイヤに対する疲労強度の検討が不十分であったと断定し,近く関係者の刑事責任を問うとの報道がなされている.誠に残念なことである.
 今回の事故が起きた営団は今から70年以上も昔に地下鉄が日本で初めて開業した当初から,木造車両が巾を効かす当時にあって全金属製車体の採用及びATSの全面装備を行い,昭和28年丸の内線開通時に当時としては画期的なセルフラップ電磁直通ブレーキ及び平行カルダンの300系電車を導入し,さらに同じ線区で日本初の地上速度照査式信号機を採用し,そして,近年は電機子チョッパ制御方式の導入など,日本の鉄道技術史に残る多くの輝かしい実績を生み出した鉄道である.そして,注目すべきは,これらの画期的な技術の導入は高い見識を持つ当時の地下鉄首脳主導の下になされたものであって,単にメーカー側の提案を鵜呑みにして生まれたものではないことにある.
 このようなに伝統のある優れた技術を継承する営団地下鉄に対し今回のように、鉄道の基本的技術や技量に関わる問題について、指摘があったことを筆者は非常に残念に思っている.指摘に事実と違う点あるならば,是非,積極的に意見を述べて頂きたいと思う.

 

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