〇 はじめに
脱線に関与する地上側の因子は少なくない.しかし,今回の事故で軌道に重大な欠陥があったとの報道は車両と同様に見当たらない.しかも,脱線は急カーブで起きた.とするならば,今まで仮定の上にたって進めてきた事故原因については,やはり「のり上がり脱線」である可能性が極めて高いことになる.そこで,のり上がり脱線に関与する地上側因子について,ここで再度,もう少し細かく述べてみよう.
〇 乗り上がり脱線に関与する地上側の因子
のり上がり脱線が起きる原因の一つは急カーブでレールを踏みしめる力,すなわち,輪重にアンパランスが生じたときに発生する.この現象は,車両の8つの車輪の輪重値がバランス良く保たれていても,レール面が歪んでいれば起きる.というのは,レールの特定の箇所に凸凹があると8つの車輪はレールを均等の力で踏みしめることが出来ないからである.そして,このような凸凹(歪み)は曲線の出入口付近で起きやすいこと,さらに,事故が起きたSカーブ付近では,そのような現象が起きていた可能性が否定できないことを先の「鉄道を斬るNo.10」で述べるとともに,問題点を以下のように集約した.
・脱線が起きた地点の左急カーブでは右側レールがカントによって嵩上げされている. ・その先の右カーブでは反対に左側レールが嵩上げされていると推定される. ・これら二つのカーブの切返し地点には,緩和曲線と呼ぶカーブが設置されている. ・緩和曲線部でレールの嵩上げ(カント)の左右切返しも行っている. ・地下鉄のように急カーブの続く路線では所定の緩和曲線確保が困難な区間がある. ・左右カントの切返しが適正でないと,輪重アンバランスによる脱線の危険が起きる.
このようなことをご理解頂ければ,Sカーブの中間に設置する緩和曲線の設定方法が非常に大切であることがおわかり頂けると思う.ところで,カーブは曲がりやすくするためにカントが付けられているのだが,カント量が多いほど,Sカーブでのカントの左右切り返しを慎重にしないとレールが歪み,輪重アンバランスが起きる.一方,カントがなければ,そのような心配は全く要らなくなる.
従って,Sカーブ中間に設置する緩和曲線長さは前後のカーブに付けられたカントによって決まることになる.すなわち,Sカーブに付けられたカントの量が多ければ,カント切り返しのための緩和曲線は長くとらなければならないということになる.
〇 緩和曲線挿入の考え方
Sカーブの中間に敷設する緩和曲線の長さや,この緩和曲線の部分でカントを切り返す方法を述べてみよう.曲線付近でレールが歪んだ場合に電車の8つの車輪がうまくレールを踏みしめることが出来ないのは,電車が軟体動物でない,つまり,電車の車体剛性が高く,レールの凸凹に応じ車体が撓んでくれないからである.
もちろん,このように「車体のしなやかさ」がないことは車体が丈夫であることの証であるから本質的には好ましいことである.このような車体剛性がのり上がり脱線との関連で議論されるようになったのは昭和40年4月に中央線初狩駅でのタンク車脱線事故であり,それ以前にはこのようなことがあまり問題にならなかった.当時の車体剛性が今ほど高くはなかったからである.
事故が起きた日比谷線が建設された昭和30年代末期のころ,既に国鉄には部内の規定ではあるがSカーブにおける緩和曲線やこの曲線上におけるカント切返しについて詳細な定めがあった.しかし,当時の民鉄の線路構造を定めた運輸省令では緩和曲線について,Sカーブの真ん中には「相当ノ長ヲ有スル直線ヲ挿入スベシ」なる大正時代制定の省令があっただけで,Sカーブ以外の曲線について緩和曲線等に関する定めはなかった.
その理由は明らかではないが,省令制定当時の電車の多くは木造車であり,車体は非常にしなやかで,のり上がり脱線などは全く起きなかったのではと推定される.その後,電車の車体が鋼製になっても当時の車体は,現在のようないわゆる「モノコック構造」とは異なってやはり,しなやかであったことも,このような問題を起こさなかった原因の一つであったと思う.そして,民鉄におけるのり上がり脱線で電車の車体剛性がクローズアップされたのは,さきに述べた某民鉄ののり上がり脱線事故である.
では,Sカーブの中間に挿入する緩和曲線の付け方は実際にはどのように行うのであろうか.現在の運輸省令は,それまで国鉄部内規定としてあった緩和曲線に関する規定を殆どそのままの形で採り入れた.その内容はカーブの種類や,通過する電車の速度に応じ多様であるが,事故現場のSカーブに該当すると考えられる主な規定を拾いだすと,
・Sカーブでは双方の曲線のカント量の和の300倍以上の長さの緩和曲線の確保
・双方のカント又はカント不足量の7倍に電車通過速度を乗じた長さの緩和曲線の確保(速度はkm/h,カント量はミリ)のいずれか大きい方を確保しなければならないとされている.つまり,緩和曲線の長さはカーブにおけるカントの付け方又は通過電車の速度で決まるのである.
一方,カントの値自身はカーブの強さと,そのカーブを通過する電車の速度に応じて決まる.理想的なカントの設定はカーブを最高速度で通過したとき,遠心力で車体が外に振られないよう設定することである.この考え方に立てば,今回の事故地点の通過速度は約34km/hであるから,半径160m左カーブの所定カントは図示のように61ミリ,半径231m右カーブのカントは42ミリ必要となる.従って,この値でカントが設定されていると仮定するならば,先に述べた方法で所要の緩和曲線長さを求めると左カーブの緩和曲線長18.3m,右緩和曲線長12.6mであり,合計30.9mとなる.
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