タイトル | 交響曲第6番イ短調「悲劇的」 |
作曲家 | グスタフ・マーラー |
若杉弘 指揮 | |
東京都交響楽団 | |
CD | FONTEC FOCD9022/3 |
1977年4月の東京交響楽団定期における若杉弘指揮によるマーラーの交響曲第3番は素晴らしかった。シュタインバッハの自然がまさに目の前に見えるようで、私には奇跡に遭遇しているとしか思えない演奏だった。1979年11月の同じく東京交響楽団の定期における7番も素晴らしく、当時、私はマーラーの交響曲の中の「自然」の表現という点では若杉弘は世界最高の指揮者と信じていた。
その後、いつだったか忘れたが、1990年6月の都響との3番のライブ録音がFONTECから発売になり早速買った。あの溢れるようであった「自然」は見る影もない演奏であり、若杉弘は変わってしまったのだと思って、しばらく若杉弘のマーラーは興味の対象から消えていた。
数年前に若杉弘/都響によるマーラーシリーズの全曲が安価で売り出された。興味を失っていたとしても、7番がいくらか気になっていたので購入したのだが、残念ながら7番も私には魅力が感じられなかった。このシリーズの中では、ハンブルク初演稿を使って原型である交響詩「巨人」に近づけた第1番や、第1楽章を交響詩「葬礼」で置き換えた第2番があり(「葬礼」自体はシャイ―/コンセルトヘボウの2番に併収されていたので初めて聴いたわけではないが)、珍しいので聴いたが珍しいというだけの演奏にしか思えなかった。ことによると年齢と共に後期の曲が良くなったのでは、ということで9番も聴いてみたが特に際立った演奏とは思えず、他の曲はなんとなく聴かずにいてしまった。
この間、気が向いて聴いていなかった5番を聴くと、なんとこれは名演である。5番の部分部分にあふれ出ているせつなさや喜びが胸に迫る。1980年3月28日の東京文化会館でのケルン放送交響楽団の来日公演でも5番を聴いたが、その時はやはり若杉は5番は合わないと思った記憶がある。
この頃の若杉は、マーラーの感傷的な部分に共感していたのではないだろうか。それではと思って6番を聴くとこれも良い演奏であった。6番は4楽章構成であることをはじめ、一見古典的で堅固な作りに見える。しかし分析的、構成的なだけの演奏に終始すると特に魅力的なテーマもないので、私には深刻なだけの退屈な音楽に聞こえてしまう。実は節々に人間マーラーのうめきや感情の高まりに満ちていてそれこそが私にとっての6番の魅力である。
そのような演奏として、最高の演奏はバルビローリ/フィルハーモニアであるが、若杉弘の演奏はややアンダンテ(第3楽章、バルビローリ盤の第2楽章)が浸りきれない不満を残すものの、それに迫る感動的なもの。
初稿 | 2017/7/2 |