タイトル | 交響曲第5番嬰ハ短調 |
作曲家 | グスタフ・マーラー |
レナード・バーンスタイン 指揮 | |
ニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団 | |
CD | SONY SICC-1790 |
年齢と共に好みも変わる。マーラーを一番聞いたのは20代から30代にかけての若いころで、その後は3番や「大地の歌」等一部の曲を除いてあまり聴かなくなった。それが最近また聞くようになってきた。それも若いころはあまり好きでなかった2番とか5番とかを良く聴いている。特に5番である。
5番があまり好きでなかったのは、1楽章と2楽章、3楽章、4楽章、5楽章がそれぞれ完結した世界を作っていて、しかも印象がばらばらで(共通のテーマをばらまいているにもかかわらずである)、一つの交響曲として存在している意味が分からなかったからである。それが最近はそのばらばらさを一人の人間の世界として丸ごと受け止め、矛盾やアンバランスを一つの世界と感じることができるようになった。
今まであまり聴いていなかったので、持っている録音は少ない。5番を買おうとして意識して買ったものは新旧のバーンスタイン盤とバルビローリ/フィルハーモニアの3枚だけで、あとは全集や選集にたまたま入っているものである。この3枚で充分と思っているので今後も当分は増えない。
本曲に限らず新旧のバーンスタイン盤では旧盤が好きで、この曲も例に漏れない。演奏の傾向を明確に示すために極端に表現すると、交響曲全体の構成より一楽章一楽章、あるいは部分部分の感情の吐露に思いきり身を委ねた演奏である。それで一つの世界と感じさせるところが素晴らしく、先に書いたようにそれがこの曲の、あるいはマーラーの魅力と思うからである。
バルビローリ/フィルハーモニアはもっと抑えた印象で、全体的に自制が効いていて、4楽章などあまり耽溺せず速め。どんな気分の時にも引き込まれてしまう掲題盤のような強引さは無いが、落ちついた気分の時に聞くと第1楽章や第2楽章の憂いや嘆き、第5楽章の喜びが心のより深いところに届く。
バーンスタインの新盤(ウィーンフィル)は、他の新版の演奏同様じっくり構えた遅めの演奏。特に第一楽章が2分も遅いのが目立つ。その結果1楽章が静かめになり、第2楽章の激しさとははっきり対比して聞こえる。しかしこのように作りこんだ演奏は好き嫌いはともかく、第9番などでは凄いと思うが、曲のまとまりのなさを魅力として感じている以上違和感を感じてしまう。
初稿 | 2015/11/27 |