朝比奈隆のブルックナー交響曲第7番

タイトル交響曲第7番ホ長調
作曲家アントン・ブルックナー
演奏朝比奈隆指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団(2001年5月)
CDEXTON OVCL-00315
演奏朝比奈隆指揮
東京都交響楽団(2001年5月)
CDfontec FOCD9367

ブルックナーは色んな演奏を楽しめる人も居るようだが、だめな演奏はまるで受け付けないという人間もいる。私は後者であり、つまらない演奏を聴くのは苦痛以外の何物でもない。それでも8番、5番などは名演のCDがたくさんあり今日はどれで聴こうかと毎回選ぶのが楽しい。しかしながら第7番に関しては目下のところ掲題の2枚以外はめったに聴く気がしない。

実はブルックナーの素晴らしさに最初に気が付いたのは第7番である。高校、大学の頃はあまり金が無く、NHK FMが重要な音源であった。海外の音楽祭の放送でカラヤン等がブルックナーを良く演奏していて、スイッチを入れたときたまたまそれが流れていると、最初は惹かれて聴いているのだが、そのうち退屈して居眠りしてしまう。それをブルックナー好きの友人に話すと、進めてくれたのがマタチッチ指揮チェコ・フィルの第7番であった。買って一度は聴いたがやっぱり良さが分からず、その後、第4面に入っているマタチッチ編神々のたそがれ組曲以外はほとんど聴かずにほうっておいた。そのうちベーム、ウィーン・フィルの4番が評判になりレコード・アカデミー賞もとったので、買ってみたがやはりつまらない(これは今聴いてもつまらない。終楽章がまるでブルックナーの世界ではない。)。それがある夜、ほんの気まぐれで、ほこりを被っていたマタチッチのレコードに針を下ろしてみた。弦のトレモロにチェロが第一主題を奏で始めたとたん、当時まだ見たこともないくせに、私の部屋にアルプスの凛とした冷気が満ち、峻厳とそびえ立つ高峰を仰ぎ観るような感に打たれた。ああこういう曲だったんだと思った。それからマタチッチ・チェコフィルのレコードを良く聴くようになった。

しかしその後第8番、第9番に親しむと共に、果たして第7番はこれら2曲と並び称せられるに足る曲だろうかと疑問を持つようになった。確かに第1楽章と第2楽章は素晴らしい。しかし後半、特に終楽章が軽すぎるように思ったのである。前半が軽いというのならまだしも、曲全体を聴き終わった時に物足りなさが残るのである。  そのうち、朝比奈隆、大阪フィルハーモニーの聖フローリアン教会での演奏がビクターから出た。終了後の拍手が延々(ライナーノートによると8分間)録音されているものである。これは終楽章も大きなスケールを感じさせる演奏であり、聴衆の拍手喝采を共有できるように思った。それでしばらくはこればかりを聴いていたのだが、そのうち、この録音独特の雰囲気もあって、聴いていて疲れを感じるようになった。特に第2楽章が長く重く感じられる。それでCDになってからは、結局マタチッチ/チェコフィルに戻ってしまった。

掲題の2枚の録音は朝比奈隆が亡くなった年の大阪と東京でのライブ録音である。おそらくこの曲の長所も欠点も知り尽くしてどのように演奏すべきかを追求し続けた指揮者が、最後に到達した境地である。朝比奈が「7番は長過ぎる」と言ったという記事を読んだ記憶があるのだが今探しても見つからない。あるいは記憶違いかも分からないが、いずれにしろこれらの演奏は結構速い。1時間ちょっとで、手元にあるCDの中で最速のシューリヒト/ハーグフィルに迫る。聖フローリアンでの演奏は長い残響を考慮したもので特別としても、同じ都響どうしで比較すると1997年の録音と比べて5分くらい短くなっている。第1楽章、第2楽章の重量級の楽章をもたれることなく軽快に演奏している。第2楽章のABABAのBの部分などあっさりしていると感じるくらいだ。第3楽章も快速。過去の録音(1992年の大阪フィル)でこの第3楽章をオケが破綻してしまっているのではないかと思わせるくらい速く演奏したものがあったが、そのようにして最適な速さを探っていたのであろう。そして第4楽章を軽さを感じさせない堂々とした音楽に聞かせる。コーダ冒頭の第1主題が、第1楽章の第1主題とはっきり対比して聞こえるのが見事で、曲全体に統一感を与えている。この2枚のCDしか聴かないというのは、聴き終わったときの充実感が他の演奏に比べて圧倒的に違うからである。

掲題の2枚の録音は2週間の間隔で行われたものである。上に述べた特徴は共通であるが、印象は結構違う。綺麗で丁寧な都響盤の方が一般的であろうが、より生き生きとした大フィル盤の方が好きという方も居ると思う。私はその時の気分できき分けている。

初稿2013/1/4