「ニーチェの馬」と「エッセンシャル・キリング」と
〜キネ旬ベストテン、チェリビダッケのブルックナーのこと等〜

今年のキネマ旬報のベストテン、外国映画の第一位はタル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」だった。これは正直意外だった。この手の映画が現在の日本の映画評論家たちのマジョリティから高い評価を受けるということは無いと思っていたからだ。「この手の」とはどういう手だというのは説明するのが難しいが、映像が凄い、技術的にうまいといった表現のレベルで非常に優れている一方で、描かれている内容が難解、抽象的、曖昧、(極端な場合 内容が無い・薄い)という具合にダイレクトに伝わりにくいものである場合、と言うと結構近いか。こういうものは、例えば 一昨々年の7位「アンナと過ごした4日間」等せいぜい中位の印象である。「ニーチェの馬」はさらに抽象的なものなので驚いたのである。突出した作品がなかった為に例年なら中位のものがトップになったということであろうか。

「ニーチェの馬」は開巻の馬を駆るショットからいきなり圧倒される。なんと言ったら良いのだろう。馬がこの世の物には見えず、その駆ける姿はまるで地獄を疾駆する魔界か天界の存在のよう。以降、一分の隙もない圧倒的な映像造形が続く。美術的に凄いだけではなく強烈な存在感で、観る者は、どうしてそういう世界なのかさっぱり分からないまま、暴風が吹きすさぶ、荒廃した世界に取り込まれてしまう。そのことに感嘆しながらも、楽しめたかというと正直むしろ疲れた。

ほとんど動きの無い据えっぱなし長まわしの映像は、もうそろそろ止めてくれないかなと思っても、容赦なく続く。同じハンガリーのヤンチョー・ミクローシュ監督も長回しが目立つがもっと動きがあり、何も無いところを据えっぱなしで撮っているようなシーンでも何か起こりそうな緊張感に満ちていて、とても快い。

なおヤンチョー監督の映画は「ハンガリアン狂詩曲」しか見ていない。もう一本の日本公開作「密告の砦」をうっかり見逃したことは、未だに私の映画に関する最大の痛恨事の一つである。またタル監督の映画も「ニーチェの馬」が初めてでここで書いたことは決してタル・ベーラ作品全体に敷衍できるなどとは思っていない。

やっと最後まで観てから、ハンガリーのお隣の国ルーマニア出身の大指揮者故セルジュ・チェリビダッケの晩年のブルックナー演奏を思った。精緻に組み立てられた演奏芸術の極致であるが、聴く方の生理が要求するテンポに比べあまりにも遅い。気力が続かないので通しで聴くことはめったに無い。それでも年に何回か精神的にとても快調なときがあり、そのようなとき、”よし、今日はチェリビのブルックナー8番を聴こう”と思う。そして大抵は最高の時間を持つことができる。この作品もただ凄さを感じるだけでなく、十分味わい尽くすことができる幸せな人たちもいるに違いない。

キネマ旬報のベストテンは若い頃は毎年投票もしたし、自分の支持する映画がどのような順位になるか大変楽しみであった。最近は興味が前に比べると随分薄れた。公開作の主なものを逃さず観るということが困難になったこともあるが、根本的には批評家の評価にあまり関心が無くなったのだ。ベストテン特集の2月下旬号への滞在時間も随分短くなった。淀川長治さんや双葉十三郎さんを初めとするご贔屓の、あるいは反対に反感を持っている批評家の方々が何をどういう理由で選んでいるか楽しく読んだものだが、そのような方々もほとんど故人になり、誰が何を選んでいるかどうでもよくなった。それでも大方からは評価されないだろうが私は絶対好きというような映画があると、誰か高い評価を与えている人はいないだろうかという見方は今でもしている。

昨年のベストテンでは、イエジー・スコリモフスキーの「エッセンシャル・キリング」。きっとごく僅か、強く支持する人が居るに違いない。その人の批評は今後少し注意深く読もうなどと思っていたら、支持者が結構多く、12位だった。これも映像の力が圧倒的な映画である。しかもとても美しい。それでも12位。そのため「ニーチェの馬」の一位をいっそう意外に感じたのかも分からない。

初稿2013/2/12