ホラー映画の楽しみ

ホラー映画が好きである。と言ってもホラーと分類される映画にもいろいろある。できれば幽霊とか悪魔とか呪いとかの超自然現象を扱ったものが良いが、殺人鬼も許容範囲である。だが殺人鬼がただ順番に登場人物を残酷な方法で殺していくだけの「13日の金曜日」シリーズのようないわゆるスラッシャームービーはあまり観ない。だいぶ耐性ができてはきたがスプラッター映画も苦手、そういうシーンはできるだけない方が良い。謎があって、意外な展開があって、工夫された結末があるというものが良い。これらは本格物のミステリー映画と共通な事であろう。しかしなにより論理的であることが求められ、論理の説明が味気なくまた分かりにくくて、大抵は満足できない本格推理もの(最近ではライアン・ジョンソン「ナイブズ・アウト」が例外的に面白かったが)に比べ、過度な論理性は不要で一応説明がつけば不満を感じない。また悲しみ、恨み、辛みといった人間の感情と整合性が良く、映画が膨らみやすい。 これらの特徴に該当しないホラーが嫌いという訳ではない。例えばトビー・フーパー「悪魔のいけにえ」やリドリー・スコット「エイリアン」、ロメロのゾンビものも傑作だし、好きな映画だが、ここで語ろうとするホラーではない(王道ホラーという事にする)。

デ・パルマ「キャリー」、アルジェント「サスペリア」「インフェルノ」「シャドー」、ジェームズ・ワン「デッドサイレンス」「インシディアス」等が該当する。死霊館シリーズは実話がモデルということでやや魅力が薄く全部観ているわけではないがまあ好きである(「死霊館のシスター」「ラ・ヨローナ」は良い)。日本なら清水崇作品。スラッシャー映画のジャンルに入るのだろうけども「スクリーム」シリーズは犯人が誰だという謎があり、また最後に明かされる犯人の設定に工夫があって、好きなホラーに含まれる。

こういった有名どころではなくて、ホラーだというだけで、(スプラッターは避けるとして)できるだけ観に行く。最近ではアンドレ・ウーヴレダルという人の「スケアリーストーリーズ 怖い本」というのがいかにものホラーで面白かった。スラッシャー映画かと思って敬遠していた「ホーンテッド 世界で一番怖いお化け屋敷」を、どうもそうでもないらしいということで観た。お世辞にも褒められた映画ではなかったがそれでも王道ホラーを作ろうとしている感が満足である。

そのようにホラーといえば、時間があれば何でも観るという一環で、たまたま観てすっかり感心したのがアリ・アスター「ヘレディタリー/継承」である。謎の提出、意外な展開、考えられた結末すべてそろっているが、特に途中まで家庭崩壊の物語を超自然現象と曖昧に関係づけて描く映画かと思わせておいて、一気に変貌する作劇が優れている。演出、造形、特に全体の重厚な雰囲気が素晴らしい。といってルカ・グァダニーノ「サスペリア」リメーク版のような高級っぽさが鼻につかない。

思いがけず傑作に出会ったというのが観た時の印象である。だから次作「ミッドサマー」は大期待で観に行った。だが結果はがっかりした。これについては別記事を書きたいが、このごろ文章を書くのが億劫になってきて、いつになるか分からないからちょっとだけ書く。

まずはワンパターンであること。「ヘレディタリー」で悪魔崇拝を自然崇拝に、悪魔崇拝の儀式を祭典に、悪魔になることを女王になることと置き換えれば「ミッドサマー」のプロットになる。私生活に問題を抱えていること、帰依することで解放されることも同じ。何かに取り込まれることで安定感を得るというのは危険な感覚で、この人にはそういう傾向があるのではないかと疑いを抱かせる。

次に作劇方法。自然崇拝を題材にしたホラーにはわたしの知る範囲では「ウィッカーマン」がある(私が観たのはニコラス・ケージが主演したリメイク版だけ)。また小説では俳優としても知られているトム・トライオンの「悪魔の収穫祭」がある(アメリカではテレビシリーズになったらしい)。これらはいずれも謎、意外な展開、考えられた結末というホラーの王道の作り方だが、「ミッドサマー」は早めにネタを割って、以降は儀式の異様さでつないでいく。しかもしかつめらしく丹念に作られているため、お化け屋敷の楽しさがなく、病的なものを感じてしまう。これは私の愛するホラーではない。正直不快であった。この人に対しては次に何を作るかに注目したい。

不快ついでに昨年観たホラーでもう一つ不快だったのはパスカル・ロジェ「ゴーストランドの惨劇」。話に仕掛けがあるが、これも仕掛けを割ってからが長すぎる。ただ延々と主人公が悲惨な目に合うのを見せられる。ことによると、不快さを狙っているのかも分からない。

昨年は「ゲット・アウト」のジョーダン・ピール監督の異色作「アス」もあった。雰囲気、演出は大したものだと思ったが、問題意識らしいものにつなげる説明がくどすぎて、しかも無理やりな感じで納得できない。

王道ホラーは才能とセンス、それにアイデアが必要である。幾つかの傑作が過去に生まれた結果、新しいものが出にくくなって、変化球が多くなっているという事なのかも分からない。そういえばジェームズ・ワンも一般娯楽大作が目立つ(相棒のリー・ワネルの新作「透明人間」は一種のホラーで結構面白かった)。「ハロウィン」リメイクは、ホラーではなくてターミネータみたいな映画だし、「チャイルドプレイ」のリメイクは途中でパニック映画になってしまっていた。

日本映画では中田秀夫「貞子」、清水崇「犬鳴村」があった。ノートを見ると、不満が書き連ねてあるが、どちらもずばりの王道ホラーで今思い返すとそれなりに楽しんだ。

初稿2020/8/11