フリードキンと「恐怖の報酬オリジナル完全版」

スピルバーグやルーカスのように1970年ころから10年くらいの間に活躍を開始した監督たち、いわゆるハリウッド第8世代、第9世代の監督たちの中で、作家性と実力の点で際立っていたのは、マーチン・スコセッシとウィリアム・フリードキンだったと個人的には思っている。

「タクシードライバー」(1976年)という傑作の後も色んな作品を器用にこなし、レベルの高い作品を作り続けることで巨匠の地位を獲得したスコセッシに比べ、フリードキンは「エクソシスト」(1973年)の後は目立った作品が無く、存在感においては著しく差がついてしまった。

恐らく、フリードキンという人はテーマに強いこだわりがある人で、作りたい作品が限定され、たまにそれ以外の作品に手を伸ばしても大したものは作れない。そのように私は考えている。

ではそのフリードキンのテーマとは何かというと、リアルに描くことでの凄味、あるいはリアルに描くことそのものというのが私が感じているところである。「フレンチコネクション」もそう。「エクソシスト」も悪魔つきをリアリズムに徹して描くことで、リアルな世界と悪魔という非日常の組み合わせからうまれる化学反応を観客にもたらすものである。

しかし、単にリアルに描くことそのものが意味があるようなテーマはそうあるものではない。そのあと、「恐怖の報酬」で興行的に失敗してから、いろんなものに手を出すが、せいぜいそこそこの出来で、フリードキンの才能が十分発揮されたものは少なく思う。中では「L.A.大捜査線/狼たちの街」(1985)が、やはりリアルな描写に演出力を発揮した佳作ではあるが、スケールが小さく殺伐とした感じになってしまった。日本公開作はその後も残さず観ていると思うのだが、唯一「ランページ/裁かれた狂気」(1987)が大傑作と私は考えている。異常な犯罪をリアルに描いているが、注目したのは、リアルな描写の衝撃力にとどまらず、死刑反対主義者の検事の自信が揺らいでいく様子を有機的に結合させて描き、とりわけ安らぎを求める被害者の心情で締めくくったのが深い感動を残す。リアリズムそのものではなくそれを道具として一段上を描いていると感じた。これによりとうとうフリードキンは低迷を突き抜けたと思った。

しかし、残念なことに私の独りよがりだったらしく、その後のフリードキンは「一流の監督」ではあっても、かつての「作家性と実力の点で際立っていた」若手の影は見るべくもないように思う。

「エクソシスト」の後、随分間が空いて1978年に我が国で公開された「恐怖の報酬」(1977)は大期待で観に行ったが、演出力と映像の厚みに圧倒されながら、満足できなかった印象が残っている。その後観ていないので、ほとんど記憶にない。当時のノートを見ると「何かにしようとした形跡ばかりがあってスリリングなサスペンス映画以上にはなっていない」、「名作のリメイクという危険を敢えて冒してまで何をそんなに描きたかったのかがまるでわからない」と書いてある。

その「恐怖の報酬」は実は30分もカットされた版だったとのこと。オリジナル完全版がこの11月24日から公開されシネマート新宿まで観に行ってきた。

細部はほとんど記憶が無いのでどこがカットされていたかはっきり分からない。どこかに詳細な説明がないか探したがインターネット、キネマ旬報の特集にも説明がみつからない。はっきりしているのはハッピーエンドがバッドエンドに変わっていることのようだ。それ以外は印象に頼るしかないが、半分くらいががジャングルに集まる以前の過去の描写であり、78年公開版はそんなことは無かったと思う。先ほどの当時のノートには「あらずもがななのが、三人の男の過去を描いたフラッシュバック」と書いてある。多分この過去部分を大幅カットし、残りをジャングルでのシーンの中にインサートするという編集の仕方だったのではないか。

今回公開された完全版では、この前半部分だけでも充実していて大変見応えがある。後半のジャングルでのパートの演出力は改めてほれぼれする。また78年公開版でもあったかどうか全く記憶がないのだが、終わり近くロイ・シャーダーの精神が異常を来すシーンは息をのむ。

一方で、バットエンドに転換するラストは陳腐で安っぽい印象で、一見、無い方が良かったと思わせる。

しかし、フリードキンにとってはこのラストは必然だったのではないかという気がする。前半で描かれるリアルな世界、ジャングルの中の非日常、それをまたリアルな世界に戻すことで、リアル+非日常で化学反応を起こすことを狙ったのではないか。

残念ながら、そうだとするとアイデアとしては理解できても作劇としてはうまくなかった気がする。過去の出来事に映画の半分を費やすことの正当性が結局わからないし、構成がいびつな印象は避けえない。クルーゾ―版の構成の方が腑に落ちる。

結論としては失敗作と言わざるを得ないのだが、それでも見応えのある傑作であり、フリードキンの代表作である。これは黒澤「白痴」や溝口「元禄忠臣蔵」がそれぞれの代表作の一つであることと同じである。完成度云々を超えて、非凡性と強烈な魅力に満ちているのである。

初稿2018/12/13