ヴィスコンティの初期3作品

ルキーノ・ヴィスコンティというと私はどうしても作曲家のグスタフ・マーラーを連想してしまう。「ベニスに死す」を撮っているからという訳ではない。両者とも、作品も素晴らしいが、その作品の裏に感じさせるものがより魅力的という事ゆえである。

その”裏に感じさせるもの”は何かと言うと、芸術史上の用語の使い方として正しいのかは分からないが、後期ロマン派の香りとでもいったものだ。現代の合理主義では失われてしまった、汎精神、耽美性、巨大さへの嗜好等個別にあげてもなかなか伝わらない、それら全部をひっくるめて持っている人間性のようなものである。

ヴィスコンティのそのようなところが好きであるから、一番好きな作品は「山猫」であり、あまり評判の良くない遺作「イノセント」もまさにむせ返るような後期ロマン派の香りがあり大好きだ。

反対に、ネオレアリズモに分類される初期作品はそのようなものではないので、私にとっては重要な作品ではなかった。「山猫」や後期の作品は繰り返し見ているのだが、初期作品についてはずいぶん昔に一回見たきりのままであった。

新装なった新宿武蔵野館で「ルキーノ・ヴィスコンティ 生誕110年 没後40年メモリアル ―イタリア・ネオレアリズモの軌跡―」と題して初期の3作品の連続上映があり、気が向いて行ってきた。新しい発見もあった。

処女作である「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は1942年作品だが、ずっと未公開であり未公開時は原題の「妄執」と呼ばれていた。そのためインターナショナル・プロモーションの手により1979年に有楽シネマでこの題名で初公開されたときは違和感があったものである。その時の公開プリントは、パンフレットを見ると「西ドイツで保管されていた貴重なプリント」ということで2時間13分となっている。今回公開されたのは2時間6分版。もともとは2時間20分らしいが、本編の前に140分版は修復困難であるというような説明の字幕が出る。

前に見たときの記憶はほとんどない。プリントが鮮明でなく入り込めなかったこともある。ただ今回感じたのと同じ疑問を持った記憶がある。話自体は古くからのフランス映画にありそうな愛憎と因縁のドラマで、「自転車泥棒」や「無防備都市」をネオリアリズモと思っていた私は、社会問題や第2次大戦も描いていないこれが何でネオレアリズモの代表作の一つなのかと思ったのだ。まだ正確には説明できないが、ファシズム政権下で作られたこと、下層階級を描いていること、そしてロケで撮られたリアルな映像ということなのだとろうと思う。今回見ると、ここでクレーンを使うとか、こういう構図でとるとか、作り手の意図が立っているようで、映画の作り方を研究しつつ撮っている感があるのは気のせいか。 プリント(と呼ぶのは不適切だろうが)は綺麗で、デジタルレストアの力を感じさせる。

第2作「揺れる大地」も1990年まで日本公開されていない。私は1979年6月にフィルムセンターの「映画史上の名作」という特集上映で観ている。一般初公開時は観ておらず、今回が生涯2回目。一回目観たときに退屈だったため、あまり観ようという気が起きなかったためである。席に座れなくて床に体育座りで観るという異常な鑑賞であったということもあるのかもわからないが、ドキュメンタリーを観たような印象しか残っていなかった。

今回良い条件で観て、ドキュメンタリーのような印象を持ったのはナレーションが多用されているからだったのだと思った。そのせいもあるのかどうか、デ・シーカやロッセリーニのような作り手の思いがどの辺にあるのかまり強く感じさせないように感じる。主観を廃し、ある意味冷徹に事実を描写している感が強い。

一方冷徹な描写故に、かえって見る側に描かれた不条理を強く感じさせるのは事実である。しかし作家の映画として考えたときに、撮ろうと思った動機は何なのか良くわからない。

撮影もレストアも素晴らしく空気の匂いまで感じさせる画面。フィルムセンターで観たときもノートにプリントは「郵便配達は2度ベルを鳴らす」よりもずっときれいと書かれているので、こちらの方が良い状態で保存されていたということなのだろう。

今回公開の3本目は「若者のすべて」なのだが、その間にオムニバス作品「われら女性」の他「ベリッシマ」「夏の嵐」「白夜」の3本の長編が入る。

「ベリッシマ」は1951年作品だが日本初公開は1981年である。当時六本木の俳優座劇場で夜10:00から一回だけ映画を上映する「俳優座シネマテン」というのをやっていて、それで公開された。その後観ていないので、その時の印象だけだが、ヴィスコンティ作品のイメージの全くの外であった。何しろアンナ・マニャーニ主演の喜劇で原案がチェ−ザレ・ザバッテイー二である。どんな作品であっても重い長編作品群の中にあって、軽さを感じさせるのが意外だった。

「夏の嵐」は1982年12月にリバイバル公開されていてそれで観た。劇場は西武劇場(その後PARCO劇場に改名)であり、並行して前述のシネマテンでも上映されたようだ。カラーの画面が美しく格調も高かった印象がある。アリダ・バリを中心に破滅に向かう愛を語られることが多い映画であろうが、当時のノートを見ると私は貴族階級(アリダ・バリ)が生命力の強い他の階級(ファーリー・グレンジャー)に出会って破滅してしまう階級崩壊の物語として観ている。それだけだとまるで後期作品なのだが、さらにそれが図式的と感じたようだ。つまり後期作品のような体質や人間性を裏に感じさせる魅力を見ていない。当時の見方が正しいか再見したくなってきた。

「白夜」は2001年にイメージフォーラムでリバイバル公開されているようだが、私が観たのはもっと前である。ところがいつどこで観たのかが分からない。手元のあらゆる資料をひっくり返してみたが分からない。そんな状態でもイメージがかなり強く残っているのは、ブレッソン「白夜」の公開の時にイメージを思いだして再確認したからではないかと思っている。そのイメージは「異邦人」と共にヴィスコンティ作品の中では異質と言うものである。これは「ベリッシマ」のようにヴィスコンティらしくないというのではなく、作品系列の中ではとらえられない孤立した存在という意味である。

と書いたら、どこでいつ観たかが判明した。1986年11月に高田馬場東映パラスのようだ。メモが出て来た。最も叙情的で舞台的なヴィスコンティ作品と書いている。ということはブレッソン「白夜」公開(1978年)よりずっと後である。記憶は当てにならない。比較的よく覚えているのは、単に思ったほど昔ではないということが理由のようだ。

私の今ままでの認識としては以上長編3本に「若者のすべて」を加えた4本は、ネオレアリズモで出発し、「山猫」で自分の世界に落ち着くまでの過渡的な作品であり、いろいろと作ってみたくらいにしか考えていなかった。今回「若者のすべて」を再見して、「若者のすべて」についてはすでに後期作品の香りがあると思った。

「若者のすべて」は1982年6月に俳優座でリバイバル公開されいる。「シネマテン」ではなく一日3回上映のロードショー公開。2時間56分の「完全版」の日本初公開とのことだった。1960年の公開時は配給会社だか興行会社だかが2時間20分にカットして公開したのだそうだ。その時の私のノートでは「見応えのあるメロドラマ」としか見ていなくてはなはだ情けないのだが、少なくとも後期作品の香りを感じてはいなかった。

「若者のすべて」は、イタリア南部からミラノへ移住してきた一家の物語で、当時、南部(農業)と北部(工業、商業)の経済格差が社会問題化しており、それを背景とした映画である。つまり「揺れる大地」の人々が貧困に耐えられず北部に移住してきてからの物語ともいえる。実際に公開時はいろいろと政治的な取り扱われ方をしたらしい(リバイバル時のパンフレットの大条成昭氏の記事)。題材的にはネオレアリズモの時代に戻ったとみることもできる。

にもかかわらず、なぜ後期作品の香りを感じたかというと主に2つである。一つはリアリズムというより様式的な構成である。アニー・ジラルドの強姦シーン、ドゥオモ屋上でのドロンとジラルドの別れのシーン、ジラルドの殺害シーン等幾つかの見せ場を配置して堅固に構築されたドラマの醍醐味がある。

もう一つは、アラン・ドロンが演じるロッコの性格付けである。弟が天使と形容する、異常に無垢で、それ故に却って悲劇を招来してしまう人物は、リアルな世界よりは後期作品やワグナーの楽劇の方が似合いそうだ。さらに言えばこの映画のアラン・ドロンの扱いに耽美的なものを感じてしまう。他の人物よりも特別大きく、多く感じるクロースアップ。その雰囲気が後期作品の香りを感じる一つの理由とも思える。

ところで、やはりドロンのクロースアップが印象的な映画に、ルネ・クレマン「太陽がいっぱい」がある。某評論家が映画の某主要スタッフに確認したところ、クレマンとドロンの関係が変で、スタッフが皆嫌な思いをしたということらしい。

初稿2017/2/17
追加2017/3/14
●白夜の鑑賞劇場