「秋のソナタ」とベルイマン

「秋のソナタ」のデジタルリマスター判が公開されているというので、渋谷のユーロスペースまで観に行ってきた。岩波ホールでの初公開が1981年ということだから30年ぶりの対面である。眠気と戦いながら観たことのみ記憶にあり内容は全く覚えていない。それで気になっていたので大変ありがたい再公開である。この頃のベルイマンの作品は観たにも係らずなぜかあまり記憶に残っていない。公開順に憶えており、改めて日本公開作の製作順を調べてみた。1974年「ある結婚の風景」、1975年「魔笛」、1975年「鏡の中の女」、1978年「秋のソナタ」、1982年「ファニーとアレクサンデル」となる。1973年の「叫びとささやき」までは観たものについてはどれも強い印象が残っているにもかかわらずこれらの作品については、オペラ作品「魔笛」は別として、「ある結婚の風景」で面白かったという感想を持ったこと以外あまり憶えていない。「ファニーとアレクサンデル」の頃ベルイマンは映画監督引退宣言をし、作品リストを見るとその後2003年作品「サラバンド」まで2,3のTV作品があるだけのようだ。日本を含めた海外では劇場公開された「サラバンド」も、もとはTV用映画らしい。

「サラバンド」を見た後に、ふと思いついたことがある。彼の作品には映画を作りたいベルイマンとドラマを作りたいベルイマンとがいて、晩年後者の方が強くなってきたのではないのかということである。内容と映画表現の関係というのは、深い問題で、ここで語るつもりは無い、というか永遠に私なぞには語れない問題であろう。内容にあわせて天衣無縫に映画的手法が駆使される、後期のフェリーニ作品のように、のが幸せな映画のありかただろう。しかし例えば、シリアスな問題を豊かな映画的手法で表現した場合、果たしてその問題について誠実であったのだろうかという違和感を持ってしまう場合があるのも事実である。それではその問題を事実の羅列で表現したような場合、それは映画として優れたものと言えるのだろうか。内容と表現の関係には映画的成功とは別な価値観も存在しえるのである。ベルイマンの場合、人間ドラマを描くことが全てになってきて、優れた映画を作ることへの興味が薄れてきたのか、あるいは積極的に映画的表現を排除したくなったのかどちらかではないか。「サラバンド」はフィルムへのトランスファーが納得いくものにならずデジタル上映に決めたらしい。すると後者かも分からない。私は「サラバンド」を観て感銘は受けたが、同時に映画とは別のものという思いもした。勿論そう感じたのにはHDカムで撮った映像が影響しているのは否めない。しかし、例えば「冬の光」に、グンナール・ビョルンストランドが”神よ、何故私を見捨てたのか”というセリフと共に窓からの淡い光で画面が明るくなるという魔術的なシーンがあった。「サラバンド」でも教会内部が外部の光で明るさを増すシーンがあるが、映画的な映像表現はされておらず、感銘は薄い。

もともとベルイマンには映画的表現手法に対する客観視というか独特のスタンスがあったように思う。それを思ったのは「魔術師」である。この映画は内容の変化と共に表現も途中でがらっと変わってしまう。観ていたこちらとしては前半、重厚で神秘的な雰囲気に酔わされていた自分はいったい何だったのかと、どっきりカメラに引っかかったような不快感を覚えた記憶がある。映画的表現の価値というのはベルイマンにとって他の人より軽いのではないかと思った。

「秋のソナタ」に戻るが、再見して、このような凄まじい愛憎劇が記憶に残っていないことに驚いた。それと共に何故前回眠気に誘われたのか分かったような気がした。この映画、前半が「ドラマをつくりたいベルイマン」のみが幅を効かせているのである。後半、深夜の母娘の諍いのシーンから映画的表現があふれ出してくる。当時私の体調が悪かったか何かでそこに至るまで気力が持たなかったのであろう。ベルイマンが変わる過渡的な時期の映画であろうか。私の印象が正しいかどうか確認するためにも、同じく記憶に残っていない「鏡の中の女」や日本未公開の「蛇の卵」がひどく観たくなってきた。

初稿2013/1/9