新宿ミラノ座の閉館

昨年(平成26年)12月31日に新宿ミラノ座(ミラノ1)が閉館した。新宿東急文化会館内の他の3館はそれよりも1日(新宿ミラノ2)あるいは一週間(ミラノ3、シネマスクエアとうきゅう)はやく閉館しており、同館はすべて機能を停止した。

ミラノ座の閉館は各メディアでずいぶん取り上げられた。テアトル東京や日比谷の映画館、渋谷パンテオン等他の大映画館が閉館になったときはこれほどではなかったと思う。最後の大劇場型の映画館の閉館ということなのだろう。しかし、と考えてしまう。確かにキャパ1,000人超の映画館はこれで無くなったかもわからないが、日本劇場(日劇1)は946席で1,000人近い。確かオープン当時は1,000人を超えていたはずだ。

ミラノ座のスクリーンサイズは70mmでも8.85m×20mで、TOHOシネマズ海老名(9.5m×22.6m)、ユナイテッド・シネマズ豊洲(9.3m×22.6m)等よりも小さい。70mm上映サイズでなければ同じくらいのスクリーンはごろごろありそうだ。決してキャパにしてもスクリーンにしても大きい劇場がこれで無くなったわけではない。それでも、何かがこれで無くなったという思いがしみじみするのは何故だろうか。

考えるに「これで無くなったもの」は建物ごとの映画館なのだろう。ミラノ座というのは映画館の名前であると同時にミラノ座のある建物の名前(一応東急文化会館という名前はあったが)であった。同じ建物の中に他にも映画館が3つあり、またボーリング場など他の施設も入っていたわけであるが、新宿東急は「ミラノ座の地下にある映画館」であったし、ミラノボールは「ミラノ座のビルにあるボーリング場」であったと思う。

シネコンはシネコンであって、ミラノ座のような映画館ではない。そう感じる理由は、一つはロビーが共通なことだろう。映画館は入口からロビー、上映環境のトータルで個性を持つものだ。もう一つの理由は入りの良し悪しでスクリーンや、上映回数が勝手に変えられてしまうことである。昔はある話題作が果たして東宝系の映画館にかかるのか、松竹東急系にかかるのか、松竹東急系でもパンテオン系かピカデリー系かとか気になったものだ。この映画はどの映画館の個性のなかで見ることができるのかというのが一つの楽しみであったからである。単にある映画を観るということではなくある映画をどの劇場で観るかまで意味があったのである。ロビーを共通にし、スクリーンも自由に変更することでシネコンは「映画館」の持っていた魅力の大きな部分を持たない。

ただ、大劇場型の映画館でも、ある時期以降シネコンの仕組みを取り入れていたふしもある。ある映画をパンテオンで観ようと出かけたら、不入りのためか東急名画座に変わっていたということもあった。ミラノ座もミラノ1,2,3などと名前を変えたのは、上映劇場の柔軟化を意図していたものだろうか。実際にどのように運営されていたか分からないが、もしそうだとするとそのころから大劇場の役目の一部は終えていたといえるだろう。

マリオンはどうだろう。一家を構えたそれぞれに個性を持った映画館という印象は持てない。なぜかという明確な理由は指摘できないのだが、ビルの主要な施設が映画館ではないことが大きいかもわからない。映画館のビルというよりビルの中の映画館の印象が強い。東劇もそうである。マリオンの場合、同じような規格の映画館が複数入っているということもあるだろう。愛着を持てるような強い個性が無いのである。

そういえば、一階に堂々とした入口を構えていて建物の主要な施設が映画館である大きめの劇場がまだ東京には少なくとも一つある。丸の内東映(丸の内TOEI1)である。どうも邦画の場合は特定の劇場で観たいという気持ちがあまり強くなくしばらくご無沙汰しているが、そう考えれば貴重だ。できるだけ出かけるようにしよう。

実はミラノ座自体は私にとってそれほど慣れしたしんだ劇場というわけでは無い。ミラノ座は渋谷パンテオン、松竹セントラルとチェーンを組んでいたが、その中でどこで観るかというと圧倒的にパンテオンが多かった。住処からの交通の便もあったが、もう一つ大きな理由はミラノ座に限らずワンフロアの劇場の場合、真ん中の見やすい席がごっそり指定席という時代がしばらくあったからだ。それでどうしても2階席のある劇場の方を利用しがちだった。それでも、ものぐさになって近くのシネコンで済ませることが多くなるまでは、年に数回は利用したと思う。最近いつ行ったか調べたらなんと2011年の「スクリーム4」でありあまりにも前なのに愕然としてしまった。

閉館に当たって12月20日より閉館イベント、”新宿ミラノ座より愛をこめて〜Last Show〜”があった。35mm上映が多いのはうれしいが、一本くらいは70mmの上映を実現して欲しかったところである。などと偉そうなことを言えたものではない。できるだけ通って名残を惜しむ気持ちはあったものの、同じ時期にイメージフォーラムでのポーランド映画祭や、見逃せない新作群の公開等が重なり、何とか30日の「青いパパイヤの香り」に飛び込んだのみとなってしまった。

上映に先立ち横田支配人のあいさつと映画の解説があった。40回近い今回の上映の毎回にやっておられたのであろう。

閉館した他の大劇場の場合でもそうだが、存続させることを前提に考えればいくらでも手はあったのだと考える。ビジネスの論理で、より安易な道、より儲かりそうな道を選択したに過ぎないだろう。コマ劇場跡にTOHOシネマができることを、プラス要因に変えることだってできたはずだ。東急レクがシネコン以外からの撤退をすでに方針としていて、単にきっかけが欲しかっただけという気がする。

大会社に文化の担い手としての気概を期待するのは無理なのだろうか。支配人のあいさつを聴きながら、現場には映画を愛しておられる人がいるということを実感し、感傷的になってしまった。

先着何名だかのメモリアル・カレンダーはすでにあるわけがなく、閉館イベントのパンフレットも特に無いようだった。キネマ旬報(一月上旬号)が特集を組み、過去の全上映作品リストも載せているのが閉館記念パンフレット代わりとなった。ただし上記の「スクリーム4」は載っていない。急きょ上映館を変更したとき等は反映されていないのではないかと想像している。上映作品リストというのもだんだんと意味をなさなくなっていきつつあるのだろう。

初稿2015/1/17