「プレイタイム」再見〜ジャック・タチの映画

イメージ・フォーラムでジャック・タチ映画祭があった。長編5作に、遺作となったテレビ作品「パラード」と短編3作(「陽気な日曜日」Gai dimancheはジャック・ベール監督となっているがimdbではタチとの共同監督となっていてどちらが本当か分からない)の全監督作品に、主な短編出演作という、初公開作品も含む、充実したもの。未見の長編作品のみ見るつもりだったのだが、最初に見た「のんき大将脱線の巻 完全版」があまりにも楽しく、「プレイタイム」も「ぼくの伯父さんの休暇」も再見し、時間の都合がつかなかった「ぼくの伯父さん」(と併映の「家族の味見」)以外の全番組観てしまった。

1995年のシネヴィヴァン六本木の「トラフィック」初公開記念の特集で見た「ぼくの伯父さんの休暇」はあまりピンとこなかった。2003年のヴァージンシネマ六本木ヒルズにおけるタチ フィルムフェスティバルで観た「ぼくの伯父さん」と「プレイタイム」では今度は発想の非凡さと映像の持つ力に圧倒されてしまい、ただ讃嘆あるのみであった。今度はじめてタチ映画の魅力をじっくり味わうことができた気がしている。

チャップリンの長編の多くやロベルト・ベニーニの一部の映画のようにコメディアンが自己顕示を繰り広げる映画はあまり好きではない。タチの映画はそのような制作態度の対極にあると言って良いだろう。まず風景があり、人々の日常があって、それらがとても丁寧に描かれる。人々はその中で自然に生活し、行動し、そしてちょっと可笑しなことをしている。それがとても楽しい。遅い方の作品「トラフィック」では前半その”なんかちょっと可笑しくて楽しい”というところが抜けてしまってやや退屈したが、警察に捕まり、キャンピングカーの機能紹介をするあたりからいつもの魅力が出てくる。

映像がとてもきれいだ。「のんき大将脱線の巻」でそれを感じ、ことによるとという気持ちで「ぼくの伯父さんの休暇」を再見したのだが、やはりとても美しい映画だった。光と風に満ちている。前に見たときこれが分からなかったのだ。リストアの力というものもあるだろうが、仕事で疲れ切ったあとレイト・ショーに駆けつけるという心の余裕のない状態でも価値を見極めるだけの力が無かったという事なのだろう。今回見直さなければ、「ぼくの伯父さんの休暇」はタチ映画の中では大したものではないよ、などと人に話していたかもわからないと思うと恐ろしい。

長編の中でも「プレイタイム」は格段に素晴らしい。前回見たときは、全編中かなりの部分を占める新規開店のレストランのシーンがおかしく、大笑いしつつ、発想や呼吸の見事さにため息をつくという鑑賞だった。そこだけではなく、画面を占める一種の空気感が快く、是非オリジナルの70mmでみたいと思った。今回改めてみると磨きぬいて作っているというのを改めて感じた。例えば開巻の空港のロビー。ほとんど据えっぱなしの数カットからなる何も起こらないシーンという印象だが、緊張感を持って思わず見とれてしまう。どういう人がどこから出てきてどこに行くかというのが緻密に計算されているのがわかる。そこに、見ている夫婦の様子を置くことで、あの夫婦はどう思って観察しているのだろうという可笑しさがわく。その他、ユロ氏が待たされているシーンではるか向こうから人が歩いてくるカットとか、2階から眺めた小部屋が並べられている事務所の光景とか終盤、バスの中からみた風景とか、大画面で見たいという思いを募らせられる。

こんなに可笑しなシーンがばらまかれていたのかというのも今回改めて気が付いた。ビルの守衛のおじさんが、ボタンが多くて良くわからないとかぶつぶつ言いながら操作する呼び出しの機械。なかなか目的の人に会えないという状況を作るいろんな仕掛け。ヒロインが花屋さんの写真をとろうとしてもなかなかうまくいかない状況 等々。それらに、リアルなんだけどもどこかちょっとずれているという非現実感があり、独特の雰囲気を作っている。旧友に家に招き入れられるシーンで、同じ構造の4つ部屋を窓の外から撮ったシーンなんか特にそうだ。それが前回見たときに感じた快い空気感であろうし、他の傑作長編群からもこの作品を特に際立たせているところのように思う。

同じ味というと、ことによると遺作の「パラード」かもわからない。同じように何かちょっとずれている不思議さがある。ただし先に行き過ぎているのか、今回は私はついていけず、おいてきぼりを食ったような気持ちが残った。機会があれば再見しよう。

初稿2014/7/6