映画序曲の楽しみ

映画に「序曲」が付いていることがある。映画を観る前のわくわく感を高めてくれるだけでなく、大抵は特に力を入れて作曲したと思われる充実した音楽であることもあって、私にとってはその映画の鑑賞に際しての最も幸せな時間の一つである。

ミュージカルか上映時間が長い大作が多い。ミュージカルの場合、主な歌曲が組み合わされている場合が多く特に楽しい。ただし、映画が始まる前に流れる真の意味の「序曲」ではなく、序曲風な曲がメインタイトルのバックに使われている場合もある。「マイ・フェア・レディ」や「サウンド・オブ・ミュージック」等がそうで、私は時々これらの映画のDVDのメインタイトル部分だけ見る(聴く)などということをする。開演前の序曲があるミュージカルとしてはっきり覚えているのは「ラ・マンチャの男」。これは本編はつまらなかったが序曲だけは楽しかったという記憶による。「ウエストサイド物語」ではソール・バスのデザインをバックに序曲が流れる中間的な形式である。

大作における良くできた序曲の代表格はミクロス・ロージャ(ロージャ・ミクロス)の「ベン・ハー」序曲だろう。モーリス・ジャール「アラビアのロレンス」の序曲も名作である。

楽しさの一方でいろいろ悩まされる問題が序曲にはある。一つは上映に際しての不備の問題だ。「マイ・フェア・レディ」のようにメインタイトルの音楽の場合は良いのだが、上映前の序曲ということになると、CMや予告編が終わった後に一旦幕をおろし、音楽だけを流すことになる。客席を薄暗くしている場合もあるが、客席を完全に明るくしてしまう場合もあり、そうすると客席ががやがやし出しあちらこちらでトイレに立つ人がいる。とても聴く状況ではない。そのせいか、あるいは単に上映時間を短くしたいためか、省略されてしまう場合も良くあった。

「ザッツ・エンターテインメント」はミュージカルに対するオマージュという性格上当然と言ったらよいか序曲があり、ヘンリー・マンシーニが素晴らしい曲をつけていて、映画公開前から親しんでいた。私が住んでいた地方都市では70mm版が公開された。それは嬉しいのだが、なんと序曲がすぱっと省略されて上映され、怒りのあまりしばらくは映画に入り込めなかった。日本公開70mm版がそうだったというより、劇場が勝手に切ったと思っているのだが、どうだったのだろう。

「風と共に去りぬ」はメインタイトルの音楽に比べると存在感が薄いがやはり序曲がある。予告編の後、一旦幕を閉めて序曲から開始したのは良いのだが、映写技師がよそ見をしていたのかメインタイトルが始まっても幕が開かずしばらく幕に映ったタイトルを見たという経験がある。序曲からしっかり上映してくれたことが嬉しくて腹が立たなかった。この映画には序曲、インターミッションの他に終曲も付いている。このときその日の最終回であったのだが、終曲まで聴いて立ちあがると観客は私一人になっていた。出口に向かうと客席の後ろに掃除係のおじさんと支配人らしい中年の男性がいた。すれ違う時どこか不満顔のおじさんに、支配人氏が「ここまで観るものなんだよ」と言ったのを耳に挟んだ。多分私がさっさと帰れば掃除ができるのにと言うおじさんを諌めた言葉と思う。ああ、この人だから完全上映を実施したんだと思い、決して設備が良いとは言えない映画館だったが、この時から好きになった。

この終曲もよく省略される。最期に見たのは1982年旧丸の内ピカデリーでだと思うが、この時も終曲が無かった。序曲から終曲まで3時間53分というのが完全な上映時間(3時間51分と記憶していたのだが、”午前10時の映画祭”のホームページで見るとこうなっている。長い方が正しいのだろう)。ウェッブ上ではこの映画に関し様々な上映時間があるが、多分この前後の曲やインターミッションを入れるかどうかによるのだと思う。

デジタル上映の場合、フィルムのようには劇場側で本編の前後を勝手に省略するということはできなくなるのだろうか。そうだとすると嬉しいがDCPによる上映の詳細を知らないので何とも言えない。ただほとんどのシネコンでは”幕”が無いので序曲があっても困るだろう。DVDやNHKの放送のように適当なスティルに序曲という字をつけて流すのであろうか。そんなことまでして序曲を流すのは不自然なので、もう序曲つきの映画というのは無くなるのかもわからない。

リバイバル作品では今どうしているのだろうと思ったら、”午前十時の映画祭”ホームページ上の「みんなの声」の書き込みによると、やはり序曲だという文字が映写されるらしい。省略されるよりましとしても雰囲気台無しである。(緞帳の画面を映すというのはどうかな。)なんと「ウエストサイド物語」では当初ソール・バスの画に重ねてカウントダウンが表示されたという。観なくて良かった。

ある映画について序曲が記憶に無いとしても、果たしてもともと無かったのか、省略されてしまったのか、あるいはヴァージョンによるのか分からない。特に印象的な曲でないと記憶自体も曖昧になってくる。序曲でもう一つ困るのは、そのようなとき序曲があったのかどうか調べようとしても資料がほとんどないことである。いろいろ調べたが序曲の有無を書いてある資料はまず無い。キネマ旬報の「世界映画音楽事典」のような音楽専門の事典でもそうである。今から思うとせめて自分で記録しておけばよかったと思うのだがもう遅い。たとえサントラ盤に「序曲」というタイトルの曲があっても、メインタイトルの音楽なのかもわからない。気になっても、リバイバルを待つか、DVDを買うかくらいしか確実な方法は無い。

この間NHK−BSで「グレートレース」の放送があり、マンシーニの序曲が開映前に流されることが確認できた。この楽しい曲を以前FM放送で聴いたのだが、某名画座で観たときに聞いた記憶がなく(単に忘れているだけかもわからないが)気になっていたのである。

最近、”午前十時の映画祭”のホームページに、上映作品についての、序曲、インターミッション、終曲の有り無しが記載されていることを発見した。これは大変貴重な情報である。TOHOシネマの売店でプログラムだけでも買っておけばよかったと後悔している。

初稿2014/5/15