現在の日本映画は、年間興行収入だけみると決して悪いわけではない。ミニシアターでは、はなから追うのをあきらめてしまうくらい、いろいろな人たちの作品が発表されているように見える。その中には個性的で魅力的なものもあるのだろう。それなのに、日本映画の世界が豊かで希望に満ちているとはとても思えないのは、一般向けの集客をねらった普通の映画が寂しいからだ。テレビ番組が引っ越してきたものがやたら目だつ。そういうものはあまり見る気がしないので良く知らないが、それ以外で私が観る話題作では映画としての最低限の魅力さえ感じられないものがしばしばある。映画ファンが自主映画でなんか賞を取ったとかその程度の監督さんが撮っているからだろうか。しかしそういう人に映画を撮らせてみることは昔もあった。大森一樹なんかもそのようにして出てきた。決して悪いことではない。しかしながらその頃は周りで水準の映画が作られていてその中での試みであった。現在の問題はそういう人達に頼らなければいけないという状況であろう。その結果すかすかの映画を作ってもあまり批判されず、実績となって次の作品に繋がっているように見えてしまう。前出の大森一樹の場合、商業映画デビュー作の「オレンジロード急行」はぼろくそに批判された(確かにひどかった。私が金返せと暴れたくなった数少ない例だ。)。あのレベルの映画を作り続けていたなら消え去っていたはずだ。今だったら一応格好がついて、そこそこに客が入れば認められるような状況にあるのではないか。事情に通じているわけではなく全く根拠はないが、出てくる映画を見るとそう思わせられてしまう。
「ばしゃ馬さんとビッグマウス」という映画も、そのような構えで観始めて、そのうちそんな心配はどこかに行って引き込まれてしまった。私なんぞには文句のつけようがなくきちんとできている。それだけでも大変貴重で、嬉しくなる。そのうえ良くできている。一世代やもっと上の世代の人たちの中には最初の何シーンかで既に非凡さを感じさせる人もいるが、そのようなタイプではない。ちゃんとできた映画に安心して身を委ねているうちに、いつのまにか心に沁みてくる。最後には何となく眺めていた二人の主人公に寄り添ってしまっている自分に気づく。
キネ旬の昨年のべストテンを眺めても上位作品に引けを取らないできだ。でもこの作品はなんと24位。日本映画をダメにしている原因の一つは評論家、批評家のレベルの低下ではないかと思ってしまう。
「麦子さんと」はさらに素晴らしいできだった。母のお骨の埋葬という出来事を通して、麦子の母の歩んだ人生、麦子のこれからの人生に思いを馳せてしまう。限られた時間の出来事を描いているだけなのにしみじみと人生を感じさせるのは後期の小津映画さえ思わせる。続く「銀の匙」も、人畜無害の健康優良児のようなお話を、これだけの豊かさを持って描いて、すなおに感動させてしまうのは並大抵のことではない。これはテクニックが優れているだけではなく、例えば豚の屠殺を真正面から描くような本気度と誠実さがあるからであるように思う。なおこの映画では前半で音楽が最低限しか使用されていない。最後の方では十分に音楽が鳴っている。最近ではこのように全体を通した音楽の使い方の設計のようなことを感じさせられたのは珍しく、その点でも感心した。
同世代には山下敦弘、「魔女の宅急便」でホラーだけではないことを見せつけた清水崇等、他にも優れた人がいる。その中でも吉田恵輔の特別の価値は、コアな映画ファンだけではなく、たまにしか映画を見ないような人も引きつけ得る一般性だろう。役者の使い方ががうまいのも頼もしい。「ばしゃ馬さん。。。」と「銀の匙」ではアイドルから適役だと思わせるだけの演技を引き出している。「麦子さんと」の堀北真希は私が観ている範囲で言えばベストだ。松田龍平は、主役ではないものの、いろいろ賞を取った「船を編む」よりずっと良い味が出ているように思う。
見逃せない人が一人増えたのは嬉しい。
初稿 | 2014/3/14 |