橋浦方人監督を知っていますか

橋浦方人監督は、ATGで「星空のマリオネット」(1978年)、「海潮音」(1980年)、「蜜月」(1984年)の3本の劇映画を撮ったあと、映画ファンの前からいつのまにか姿を消された方である。3本の映画の間の間隔が随分開いているので、忽然と姿を消したというより、暫く新作が無いことにあるとき気が付いたという具合だった。それらの前に、私は未見であるが、「青春散歌・置けない日々」という16mmの自主映画があり、都合4本が監督された劇映画の全てだと思う。

昨年ケーブルテレビでATG3作品に再会した。それで思い出したというわけではない。どうしていらっしゃるのだろうというのはずっと頭の片隅にあった。3本とも非常に質の高い映画で、その後新作が無いのを残念に思い続けていたからである。

ATG3本の中では特に「星空のマリオネット」の完成度が高い。破滅型の若者を描き暴走族とのけんか等があったりするが、底を流れる静かさ、諦観とでも言った感覚が忘れられない印象を残す映画だ。「海潮音」は、ATGのパンフレット「アートシアター」掲載の白井佳夫さんの文章に、もともと膨大な長さの作品を切り縮めたらしい、ということが書かれていて、登場人物たちのつかみ難さが、さもありなんと思わせる。「蜜月」は当時のノートを見ると、前衛ジャズや暗黒舞踏のシーンが長すぎると書いてある。しかしこれらは非常に高いレベルでの不満であり、前者の格調高い映像と文学的な香り、後者の緻密な演出と最後ににじみ出てくる苦さの印象はいつまでも残っていた。

「海潮音」を観たとき日劇文化のロビーで、お子さんの手を引かれた監督を見かけて、土曜日にも関わらずがらがらの客席に、”またこの方暫く映画撮れないんだろうな”とつらく思った記憶が私にある。今から考えると本当に監督ご本人だったっか心もとないが、監督のお顔は露出は少ないもののキネマ旬報や先ほどのパンフレットなどゼロではないので、当時それらに基づく確信であったと思う。

改めてインターネットを探すと、2006年ころの消息がらしきものが見つかった。(ここ)。これによると少なくとも当時はご健在で、PR映画を撮られているとのこと。

その後劇映画を撮られなかったのが監督自身のご選択であるのか、撮りたくても撮れなかったということなのか分からないが、いずれにしても日本映画にとって大変な損失には間違いない。

初稿2014/1/9