照道館空手とは



「照道館」という名称は流派ではなく、新潟大学空手道部の監督であった小山昭彦師
(現、館長)が一般向けに開いた道場の名前である。
よって世間的に言う「流派」で名乗るならば「新潟大学空手道部・流」とでも言わざる
を得ない。

 新潟大学空手道部の歴史は五十年に渡り、それは変化発展を繰り返して来た。
 その変化は大きく分けて次の三つになる。


第1期 船越義珍師による松濤館流の時代(昭和25年〜昭和34年)

第2期 船越義珍師の師範代であった江上茂師による松濤会の時代(昭和35年〜昭和40年)

第3期 江上茂師の師範代であった青木宏之師による新体道空手の時代(昭和41年〜平成13年)


 つまり「照道館」空手は、新潟大学空手道部において結実した空手そのものである。

 それは学生の空手という意味ではなく、船越義珍師から江上茂師、江上茂師から青木
宏之師へと伝わった空手を、それぞれの師範から直接御指導頂きながら、学生が熱意を
持って取り組み、発展させた空手道なのである。
 当空手道は武道として、果たし合いに於いて、人体に対して甚大なダメージを与えら
れる技を研究した結果出来上がった武道である。

 力まず、自然な動きをしつつ、”刺すような突き”や”切れるような払い”を持つ。

 その空手を新潟大学空手道部23代主将で、大学と照道館の両方で稽古に取り組み、
その後、新潟大学空手道部監督代行の任に当たった向山達人が、昭和59年、神戸の地
で指導を始めた。

 そして、花木哲男師が、青木宏之師から新潟大学空手道部の指導を託された時、花木
哲男師から依頼を受け、向山達人も指導員として加わった。


 奇しくも、島根大学合気道部初代主将華房拓郎が、その空手道が、武道であることに
気付き、異例の「空手道」「合気道」の融合による、より高いレベルの武道創出を図る。
 それが詰まる所、「照道館空手」「合気道」の融合…「兵庫県武道連盟」の武道となる。

 「兵庫県武道連盟」は、
  空手に近い合気道。
  合気道に近い空手。
  この2つの武道を中心に、他の武道の利点も取り入れ、より高度で効く技をもつ
武道の研究に、日々鍛錬を積んでいる組織である。

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