空手の歴史




1.空手の起源


 今から約1500年前、西天竺の達磨大師が、梁の武帝に仏法を講説した。
 後に、少林寺にて法を説かれた。大師の徳を慕って多くの僧が集まったが、衆僧は修
行に疲れ果て、大師の教えを理解する前に倒れてしまう有様であった。そこで、大師は
衆僧に向かって、
「凡そ法は霊のために説くものであるが、霊肉はもと一体で離すべからざるものである。
今汝らを見ると、心身共に困憊して、到底修行の功を終えられそうにもない。そこで、
ここに一法を授けるから、以後まずこの法によって筋肉を旺にし、しかる後に法の真髄
を得よ」
 と、一つの心身鍛練法を授けられた。
 これが所謂「易筋経」であって、これによって少林寺の衆僧は漸く気力を回復する事
を得、遂には剛健勇猛なる事、中国に冠たるに至った。
 この「易筋経」は各所に伝えられた。これが「支那拳法」である。
 少林寺に於いて研究されたものが「少林寺拳法」となる。



2.琉球における発達

 尚巴志が三山を統一し琉球王国を建国すると、文治立国の政策を以て武器の携帯を禁
じた。また、江戸時代初め、琉球王国は、薩摩の島津氏に征服され、一切の武器を取り
上げられた。
 この二回の禁武政策のために、徒手空拳の護身術である拳法、即ち「沖縄手」は異常
な発達を遂げる。その間、「支那拳法」が琉球にも伝わり、「沖縄手」にこれを加味し
て研究し、発達することになる。
 この琉球において、長年の間に発達した拳法を「唐手」と呼ぶようになった。
 琉球にて発達したにもかかわらず、「唐手」と称したのは、近世支那崇拝熱が盛んで
あったと言われている。「唐手」と呼ばれてはいたが、長年に於いて琉球にて発達した
琉球固有の武術と言っても過言ではない。
 そこで、船越義珍老師が「唐」の字を廃して「空」の字を当て、「空手」と称した。
船越義珍老師が「空」の字を当てられた意味は、一つに、徒手空拳を以て身を護り、敵
を防ぐの意味であるが、他に仏教用語の色即是空・空即是色の「空」の字を取られたの
である。


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