守・破・離

古来より、多くの芸術・武道の世界で、一流になるため
の方法として伝えられた言葉に「守・破・離」がある。


第1段階 「守」
 師匠のまねをすること。
 昔は、住み込みで修業するということが多く、師匠のあらゆるところ
 歩き方までまねをした。


第2段階 「破」
 師匠のまねをし尽くしたら、その殻を破り、壊してしまってよいということ。


第3段階 「離」
 師匠を乗り越え、さらにハイレベルの自分の道を行くということ。



 …自己流に陥ると、ある程度で頭打ちになる。という事と似た意味である。




松濤二十訓


 空手を日本本土に伝えた船越義珍老師が空手を学ぶ者の心構えを書き残された。
(松濤は船越義珍老師の号である。)


1.空手は礼に始まり礼に終わることを忘るな。
 礼は単なる挨拶だけではない。
 「礼儀」(敬意を表す作法)
 「敬礼」(尊敬する事)
 を厚くするという意味も含まれる。
 また、礼は形(型)も意味する。

2.空手に先手無し。
 こちらが手を出す時は相手を倒す時である。
 決してこちらから手を出してはいけない。

3.空手は義の輔(たす)け。
 武道は正しい道を行く助けになる。

4.先ず自己を知れ而して他を知れ。
 自分自身を良く理解してから、他の事を知る努力をする。

5.技術より心術。
 技よりも、心の持ち様が大事だと言う事。

6.心は放たんことを要す。
 心を開放する。すると必要な者が見えてくる。

7.禍は懈怠に生ず。
 思わぬ不幸は、怠け心から生まれるものである。

8.道場のみの空手と思うな。
 相手、敵は道場の中にいるのではない。
 目の前の物しか見ていてはいけない。

9.空手の修行は一生。
 時は同じ事を繰り返さない。
 同じ事をしていても、それまでに経験していた事から、新たに気付く事もある。
 修行という経験は一生かけて積んでいく物である。

10.凡(あら)ゆる物を空手化せよ其度(そのたび)に妙味あり。
 一は全に、全は一に通ずる。
 一見関係の無さそうなものでも、それに関係付ける事が出来る。
 それが何か発見できた時、何とも言えない感動を味わえる。

11.空手は湯の如し。絶えず熱を与えざれば元の水に還る。
 技を極めたと思って何もしないでいると、気が付けば技や考えが錆付き劣化してしまう。

12.勝つ考えを持つな、負けぬ考えは必要。
 武道の勝敗は「生死」である。むやみに命のやり取りをする必要は無いが、危機に遭
遇した時はいつでも的確な判断が必要である。

13.敵に固(よ)って転化せよ。
 状況に応じて変化する柔軟性が勝敗を左右する。

14.戦は虚実の操縦如何に在り。
 争い事の根源を見抜く力が必要である。
 それが争う必要の無いものであれば、相手にしないほうが良い。
 解決する必要があるのならば、どうすれば効率よく解決出来るかよく考えてから実行
すると良い。

15.人の手足を剣と思え。
 武器を持たず身を守り、敵を防ぐのが武道。
 つまり手足が武器であり、防具である。

16.男子門を出ずれば百万の敵有り。
 義を見て無数の敵をも恐れぬ勇気を持つ。
 周りに味方が一人もいなくても、自分のしっかりした意見、信念は貫き通すべきである。

17.構えは初心者、後は自然体。
 初志貫徹。初心忘れるべからず。
 力を最大限に発揮するには、自分の中に余裕が必要であり自然体でいられるのがよい。

18.型は正しく、実戦は禁物。
 型は自分自身を表現するものである。
 型は礼。心の入っていない型は無礼であり、無意味である。
 当然、闘争する為のものではない。

19.力の強弱、躰の伸縮、技の緩急を忘るな。
 技にはそれに適応した動き方がある。
 それを良く理解した上で演舞する事が大切である。

20.常に思念工夫せよ。
 どんなに優れた技術を持っていたとしても、そればかりにこだわっていては取り残さ
れてしまう事もある。
 常に考えを新陳代謝させ、視野を広め、あらゆる状況に対応できる柔軟性を持つことが
成功へ繋がる道である。

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