10万メートル走の、彼方に見たものは
しまなみ海道ウルトラ遠足(100kmマラソン)に挑戦!!





2007年6月1日は、土曜日に臨時休診する事と、インターハイ予選・各試合等が重なり、患者さんが時間外でも訪れまして、仕事が終了しましたのは午後10時過ぎとなりました!!

しかし患者さん・スタッフからも「先生、マラソンがんばってください!!」と応援され、元気モリモリ!!10時40分頃に家族に見送られ出発!!妻と双子の子供どもは、明日先回りをしまして愛媛県のとべ動物園に行き、白熊君に会いに行き今治で合流予定です。

倉敷駅でラーメンをすすり、その後電車に乗り移動!!福山到着は12時前になりました。サウナでウルトラの師匠でもあり、しまなみ3回の完走者でもあります小学校からの先輩でもありますCP・KITCCENの北川先輩と合流、風呂もそこそこに入り、すぐに仮眠。Am2時半には起床し、サウナで知り合った広島のMatuさんと一緒に3時過ぎにはに受付会場に入りしました。


受付会場の「福山ニューキャッスルホテル」に到着。トライアスロンとはまた違う和やかな不陰気で、今治行き・中間地点行き荷物預け、受付を済ませていざスタートの福山城へ!!北川先輩と移動。空は白々としてきましたが、本日は雨の予想をくつがえし!!曇りの予想!!会場に到着しましたが、参加者のその数1000人を超える??のではないかの人!!、友人のTAKAさん、YASIさん、ピース岡山のわたさんと再会、知っている人、仲間がいる事に安心感が生まれました。

そしてボルテージが上がる5時、ドラの音を合図にスタート!!はやる気持ちを抑えて、「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせ、TAKAさん、YASIさん、わたさん共々いつものマイペース、ゆっくりとスタート、北川先輩は10時間完走を目標に、颯爽と前に前に行きました。

とその時、後方からいきなり「こうもっちゃ〜ん」の声!!、くらわんか時代からの親友、なべさんの声ではないですかぁ!!、おもわず「なんでですかぁ!!」の声、と言うのもしまなみ遠足に参加する上で、一緒に出場しませんかと話していたのですが、その際は回答を得れなかったのが・・・聞きましたら驚かそうとしての行動だったそうです(笑)

芦田川の橋を渡り国道2号線をいざ西へ、私は友人と話しをしながら走りました。朝の気持ちよさも快適で、気持ちよい走りに勤しんでいましたが、ここで私の難関!!トンネルの連続が待ち受けていました。

あまりトンネルが得意ではない私ですが、その中を車は轟音と共に走り、熱気と排気ガスでお世辞にも良い環境ではありません、しかし我慢の走りで数箇所のトンネルを通過、松永までわたさんと一緒に走り、エイドステーションでうどんの振る舞い!!に美味しく頂きま、その後も順調に走りつづけ、親父が勤めていた尾道造船の横を通過、親父のふるさとでもある尾道の町並みが見えてきると、いよいよ最初のしまなみ海道橋、尾道大橋が見えてきました!!ここまで2時間30分前後で、良いペースです。このころから小雨が降り始めました(T_T)

トンネルは苦手です(-_-;) 尾道造船横を通過!! 尾道大橋到着。

尾道大橋、スタートから19Kmです。


橋まで坂道また長い階段登り、いよいよ橋に差掛りました。歩道が狭く走りにくいですが、足を挫かず慎重に・・・。ほどなく向島に上陸をしました!!

向島の町並みを走ってゆくと程なく向島24.5kmのエイド、ここでハッピーズの会長、せれさん、貝畑さん、福田走友会の江藤さん、アミーゴ倉敷の藤井さん方々と再会!!皆さんの顔を見ていて24.5kmも走ってきた疲れは吹っ飛び、また、ネット上でしかお話しをしたことがなく、初めてのお会いだった貝畑さんと出会い、初めてお会いしたのに、まるで何年も前から知り合いのような不陰気で話されてくれて、励まされました。

エイドで仲間の応援を頂きました\(^o^)/


心機一転な心意気に変わり、エイドを後に、すると前方に走っていくハッピーズのせれさんの姿、「河本さん」の一言で、写真を撮ってくださいました!!その距離100mはある距離を全速で走ってもらい、ダッシュの引地さんの応援に大感激です!!ありがとうございますの言葉に尽きません!!

その後海岸沿いをわたさんと走り、ここまではなにもなく順調そのもの!!わたさんもウルトラマラソン出場の多数のベテランで、様々なエピソード、特に「ウルトラを完走すると、自分の人生の限界がなくなってくる様な気がする」の言葉が印象的でした。この頃から雨はやみ始めうす曇に、気温が上昇してくるのを感じてきました。そうこうしている内に2番目の橋、因島大橋を迎えました。

       因島大橋、ここまで30Kmです

ここは階段で上りますが、流石に急な階段が続きそして長い!!ゆっくりゆっくり上りましたが、やはり堪えたのか、橋の上では少々ペースが落ちてしまいました。橋は道路の下部を渡りますが、流石に高い!!下を覗き込むとヒヤヒヤします。因島大橋を渡り、降りたところが35Kmの第7エイドステーション、ここのミカンジュースは最高にうまかった!!!の一言で、2杯もおかわりをしました!!

ストレッチを入念にし、イザスタート、だが36kmのこのあたりは、フルマラソンだったら「魔物」がいるところ・・。峠越えも幾つかあり、また日も照ってきて(尾道あたりは小雨だったのに・・・(T_T))、2度目の我慢時、峠を登り切り、下りに差掛ったところでTAKAさんとYASIさんに追いつき再会!!なんとか峠の疲れを紛らわし、海岸べりの40km過ぎのエイドに!!ここではみかんゼリーに舌鼓、3人でストレッチを入念にし、次なる50Kmの中間地点に向けてスタートしました。

3番目の橋、生口島橋、ここまで41Kmです。

生口島大橋を渡り、橋までの峠道そして暑さのせいか、やはり身体が重い、橋ごとに登り下りは堪えるのとウルトラマラソンでは、走り続けると胃が動かなくなり、食べ物を受け付けなくなると聞いていましたが、腹の減りをこのころからか感じるようになりました。(ロングトライアスロンの時は、食いまくっているので(笑))

生口島橋をおりて間もなくのエイドで、トマト、カステラを腹いっぱい食べ、そしてランナーの方が塩を分けてくださいました。

暑さもピークになり、頭・足に水を掛けイザ出発、なんとか走れる!!次のエイドが中間地点、次に行けば、真ん中まで行けばあとは折り返し、重くなった足をそれでも走り、歩くとそこで止まりそうな気がした。その時、交差点で貝畑さんの姿が、応援で車で先回りをしているとき、偶然にお会いしました、車から降りてくださり、「中間地点まではもう少しなのでがんばってください!!」の言葉、励まされました、あと少し、あと少し・・・。
中間地点が近ずいてくる、そしてエイドに入る手前の交差点で貝畑さんが再び待っていて下さいました。

100m程でしたが並走して下さり、そして色々とお話しをして下さりました、「走っていると、波があり、苦しいときも我慢をしていたらまた楽になります、だからマイペースで、」この言葉が、これから後半どれだけ救われた事か・・・。中間地点のエイドに入り、貝畑さんから応援の励ましをいただき、さっそうと彼女はボランティアの作業に向かいました。

やっとここまで来た、TAKAさん・YASIさんとも合流し、福山で預けたMy荷物を頂き、袋の中からアミノバイタル・メダリスト・胃薬を取り出して飲みほし!! YASIさんにテーピングをし、自分にもテーピング。おにぎり等を頬張り、しばし休息の後、さぁ後半しゅっぱーつ!!

しばらく走り、貝畑さんのアドバイスを改めて思い出し、出来るだけ力を抜いてリラックスをして走る、その事を考え、肩の力みをできるだけなくしまた隣で並走した見ず知らずのランナーの方にも声を掛けたりして、走りました。

順調に耕三寺前を通過し、サンセットビーチ周辺に掛かったその時、暑さがピークにきたのか、足に軽い痛みを感じました。頭も少しボーっとし、立ち止まってはストレッチをし、歩いたり走ったり・・・。休もうとも考えましたが、しかし、休んだらそこで止まりそうな気がしたので、山裾の木陰を選んで走り、一歩一歩でも前に進み55kの浜辺のエイドへ、ここでトマト、カステラなど食べ物を食べ、頭、足に水を満ベンに掛け出発、でも足は重い・・・。

TAKAさん・YASIさんと 多田羅大橋が見えてきた!! 入り口の坂道

しかし、貝畑さんの「走っていると、波があり、苦しいときも我慢をしていたらまた楽になりますよ」の言葉を思い出し、がまん時と思い多田羅大橋へ・・。

4番目の橋、多田羅大橋、ここまで60kmです。

苦しい坂道でしたが、橋に登ると間もなく愛媛県に!!橋を下りるときには、不思議と足の痛みは消え、道の駅62kmのエイドで補給。

暑さはあるがペースを再び戻り、長い峠を上り大三島大橋へ、多くの橋を渡ったが一番坂・峠がきつい様な気がしました。ここで24kのエイドでボランティアをしていたアミーゴ倉敷の藤井さんと再会、励まされ、長い峠の疲れも解消!!

長い坂!! 大三島大橋に到着!!

5番目の橋、大三島大橋、ここまで65kmです。

大三島橋を渡り伯方島へ、伯方大橋の下のエイドでは椅子に座り、羊羹を頂きました。丘のような峠を上り、あと少しで70kエイド。すると「河本さーん」の声、ハッピーズの会長さんとの2度目の再会でした。「あと少しでエイドだから、がんばって!!」と写真を撮ってくださり、やはり私も疲労の濃い顔をしていたのか、心配そうにして下さりました。

会長さんは次の目的に向かい、私も黙々と走り、とうとう70km!!

やったー!!70km!!エイドでそうめんをおかわりし、ここでもTAKAさん・YASIさんとも合流,しばし5分少々の休憩、ここのそうめんはうまかったです!! TAKAさんから「75kmからが勝負です」と言われ、練習でも私が走ったのは70kmまで・・・。いよいよ未知の距離に挑戦です。

70kmのエイド、あと少し!! 3人で合流。 伯方・大島橋

 6番目の橋、伯方・大島大橋、ここまで73kmです。

伯方・大島大橋を渡り「魔の70km」という割には(注:かなり遅いペースですが・・・)苦しさはあるものの一歩一歩と前に進み、76kmの宮窪港のエイドへ・・・。あと24km!!もう楽勝!!トマト・ゼリーをたいらげ、イザゴールへ!!

しかし、患者さん・友人が警告していた言葉を、実感することになりました。

順調に走り出し、峠があることは知っていましたが、こんなにきついとは・・・。しばらくして坂に入り、流石に75km以上走ってきた自分には、堪えてくるのが分かってきました。坂を上り、「あのカーブまでいけば・・・」、そのカーブを曲がるとさらに頂上の見えない坂、前後に人はポツリポツリ・・・。場所によっては一人のときもある。北川先輩からも患者さんからも、「75kmから寂しくなるよ・・・。」と聞いていたがその言葉を実感しました。

上っても登っても坂・・・。歩いては走り、歩いては走り・・・。そしてでもとうとう頂上!!

しばらく下ってエイドの看板・・・。あと1・4km・・。交差点を曲がり、進んでもそれらしき物は見えない、その時午後5時の時報らしき物が聞こえる。まだ80km、このままでは制限時間にも間に合わない・・。あと4時間・・・。

バラ公園のエイドにやっとの思い出到着、宮窪港のエイドとは違い、時間にもう余裕がない・・・。食料と水を補給し、すぐに2分弱で出発・・・。もう歩く時間もない・・。日も傾きだし来島大橋を目標に走る、足も重い、でも歩く余裕もない、走っても走っても来島大橋らしきものは見えない足が動かなくなる・・・。半島の先が見え、何キロ先だが、小さく走っているランナーが見える・・・。「あの先まで行ったら・・・。」そしてその先までがんばって走り。しかし来島大橋の姿は見えない。また遠くの半島が見えてくる。

その時、高校生のとき陸上部の顧問の指導の言葉を思い出しました。「坂道の時、頂上を見たら苦しさでペースダウンをする、だから上を見ず道を見ろ。」

その言葉を思い出し、「よし、あの半島の先まで下を向いて走ろう!!」3m先ぐらいを見て、前の物体に気をつけながら、そしてランナーが居られたら声をかける。数10分後、その半島の先に到着、しかし、まだ橋は見えない、また次の半島まで下を見て・・・。今度は橋の一部が見えた!!よし、あの半島まで!!さらに橋が見えた!!

そして次の半島まで黙々と走る、苦しい、身体も重い・・。目標にしていた半島の先、そこで顔を上げると三つの連なった来島大橋が一望!!その瞬間、涙が出ました。


静かです。べつになにもこの地点に看板も何もなく、ただ聞こえるのは、夕刻の波の音、ランナーの息の音と足音。静かです。音楽のBGMもなにもなく静かです。

しかし、橋は四国まで連なっている。

やっと最後の橋まで来た!!でも時間はない、急がねば!!焦る気持ちを抑え走りだした時、様々な事を思い出しました。

ウルトラに出ようと思ったのは、今年度の皆生トライアスロンの日程に,親友の結婚式と重なり、昨年も資格試験で皆生に行けず、今年こそと思いつつあきらめかけていたその時、セジュ・ジラールの記事を読み、「そうだ、ウルトラだ!!」と思い、すぐさま妻に、「今年はウルトラマラソンに出る」と宣言!!患者さんと北川先輩からもお話しは伺っていたので、「いつか挑戦したい!!」とは思っていた、そしてとうとう実行に移そうと決めたのが今年の1月!!

体重も増えていて、栄養士の妻がダイエットメニューを作り、そして患者さんから走り方を伝授してもらい、少しずつ距離を伸ばす。

ハッピーズの会長さん・ウガッキーさんともそのころ出会い、アドバイスを頂きました。
患者さん・友人々な方から、

「練習で追い込みすぎたらだめだ」
「なにがあってもマイペースで」
「前半で食べとかないと、後半は食べれない」
「エイドごとにストレッチを」
「無理をせず、ぼちぼちと」


そして出発の日に来られたベテランウルトラランナーの方に「70kmを過ぎたら、誰だってつらいよ、その時、家族を思い出しなさい、ゴールをしたら何を食べようかを考えなさい、つらいのはみんな一緒!!先生なら大丈夫!!」

85kのエイドまで様々な事を思い出し、ここまで来れたのは自分だけの力ではない、今日までの日を支えてくれた患者さん・友人そして今日を支えてくれたエイドの方々、応援の方、一緒に走ってくれたのも患者さん、そして友人、ハッピーズの方々、応援も会長さん、貝畑さん、福田・アミーゴの方々!!そしてなにより栄養管理をしてくれて走る時間を作ってくれた妻、そして子供達!!感謝の気持ちで止まりませんでした。

85kmエイドを過ぎ、ついに来島大橋!!あと少し!!長い階段とループ上の坂道を登り続ける。とうとう橋の上に到着しました。

最後の橋、来島大橋、ここまで87km!!

いよいよ来島大橋 橋の上で!! 夕焼けは美しいが・・・。


でもここで今までの走りに無理があったのか、走れない、失速!!夕日は綺麗です。しかし、歩きだしてしまう。橋の先は遥か彼方で、微妙に上り坂が堪えてくる。さらに橋の中央から睡魔が・・・。4kmのこの橋は長い!!やっとの思い出橋を渡るが、睡魔がピークに・・・。

橋を下のエイド、四国上陸の喜びより椅子に座ると数秒寝てしまった。「いかんいかん!!」そう思い、名物鶏卵饅頭をほうばり出発。あと少し、でも眠い、信号で止まるたびにコックリする。過去のマラソン・トライアスロンを通じても、こんなにも睡魔に襲われたことはありません。
しかし、94km頃、パット目が覚めました。急なことでした。

それから急にパワーが漲ったのか、信じられないことにダッシュしました。95kmのエイドで饅頭だけは食べましたが、30秒ぐらいで通過、何人も抜いてゆく、信じられないほど力が出る。今治市内の商店街に入るが、全然スピードが落ちない、2kmの表示!!暗闇の今治市内に入り、商店街を走り抜けてゆく。歩いている選手の方々を、どんどん抜いてゆく。そして暗闇に浮かぶ今治城が見えて来た!!ラスト1km!!

ゴールのリソースセンターが見えてくる。賑やかだ、今までの長いレースの一日は、このゴールの地を目指して走ってきて、その瞬間が目前に迫ってる。その時その時「パパー!!」の声!!息子と娘が待っていてくれた!!妻は写真撮影駆け足、私は子供と3人手を取り、観客の歓喜の中テープ切りを子供達にプレゼントし、ついにゴール!!


15時間25分53秒!!長かった一日、そして挑戦を決めた日から半年!!

もうなにも言うことは言葉はありませんでした!!友人・患者さんも待っていてくれました、そして家族も!! 過去にトライアスロンで一度だけゴールで泣いたことがあります。
それは宮古島でした。宮古島トライアスロンは初めて出たロング大会で完走に涙しましたが、しまなみは間違いなく今まで出たマラソン大会で最高の大会でした!!

様々な出来事が遇ったような一日でしたが、それは2日も3日も走ったような気がしました。

ただ今言いたいのは、「ありがとう!!」この一言です。私一人が走ったのではなく、周りの方々が居られたので走れました!!

ゴール後にボランティアの方々から掛けられた「お疲れ様」の言葉に、ゴールの感動を噛み締め、選手が待つリソースセンター内に。TAKAさんとYASIさんは先にゴールし、待っていてくれました。しかし、わたさんがまだゴールしていないとの事が心配でした。ゴールで待つこと10数分後、なべさんが見事フィニッシュ!!なべさんも初ウルトラでの見事な完走でした。


妻と子供も、途中で到着予想時間を伝えていましたが、その時間よりも1時間前から会場で待っていてくれて、私の帰りを待っていてくださいました。子供のゴールの直後に
「パパカッコいい!!」の言葉には、照れるようなうれしい言葉になりました。北川先輩にも携帯電話で連絡、北川先輩は10時間代でゴール、さすがです!!翌日に用事があるため、倉敷に帰宅中でした(驚き)

制限時間の21時が近ずき、会場は高まる不陰気ですが、わたさんは中々帰ってこられない。最後まで待っておきたい気持ちでしたが、子供たちもすでに眠くなってきているため、Takaさん・YASIさんに託し、会場を後にしました。宿に帰り、軽くシャワーをした後に軽く食事をし、そのまま爆睡しました!!

翌朝はしまなみ海道を、今度は車で帰りました。途中に62kmのエイドでもありました
大三島道の駅に寄りましたが、ここでしまなみ遠足のボランティアの方々が、道路のチョーク画を掃除していました。レース後も後片付けに精を出す関係者に、改めて感謝の意を表しました。

トライアスロンが競技としたら、ウルトラマラソンは私にとってひとつの旅だったと感じています。この旅のゴールを迎えるにあたり多くの方々、AMIGO倉敷・くらわんか・福田走友会・ハッピーズ・ピース岡山の皆さん、そして多くの患者さん・整骨院のスタッフ・そしてなによりも二人の子供をみてくれて、栄養からなにより協力をしてくれた妻の由佳さんに、感謝したいです。

またウルトラマラソンに挑戦をしたいです。けして速く走る事よりも、人と人との出会いを再確認する旅に、また出かけたいです。

みなさんもどうですか??ウルトラマラソンって、体力のある人、すごい人ばかりではありません。普通の人であり、ただ違うのは走る事が好きなだけです。人生が本当に変わってくるかもしれませんよ、私が10万メートル走の彼方で見た物は、人と人とはどこかで繋がっているんだと言うことと、人と人はきずながある事、そして大事な事はあきらめない事、その気持ちを私自身忘れないで行きたい。その事をここに記します。