トライアスロン
このスポ−ツとの出会い・そしてゴ−ルを目指すアスリ−ト達へ・・・。
トライアスロンの誕生、そして現在は・・ |
2000年のシドニ-オリンピックでも正式種目化となり、多くの人に知られるようになりましたトライアスロン。水泳 ・自転車・マラソンと3種目を1度に行ない、オリンピックでもアスリ−トの力走に、感動されたと思います。しかし 、このスポ−ツがアメリカの海兵隊員のジョ−クによって生まれたことは、以外に知れ渡られていません。 トライアスロンの生みの親・ジョン・コリンズ(アメリカ人・海軍)は、以外にも健康とは言えない身体(肥満・ヘビ −スモ−カ−)でしたが、41歳の時に一大決心をし、ランニングなどのエアロビクスを取り入れ、タバコなど悪 しき習慣と決別してダイエットに成功しました。 その後ハワイ勤務に転勤になったのを機会にし、多くのマラソン ・水泳の大会に出場しましたが、1977年、あるマラソン大会の表彰パ−ティ−で「世界で最も競技能力の優れたアスリ−トはいったい誰か??」と言う事で議論が始まりました。が、話しは熱くなりいっこうに収まる気配がありません。 その時ジョン・コリンズは議論に終止符を打つために言いました。「ワイキキ・ラフアンドウォ−タ−・スイム(3・8K)、オアフ島周回自転車レ−ス(180K)、ホノルルマラソン(42・195K)を1度にやろう!!そしてこの種目をすべて達成した人を鉄人(アイアンマン)と称号し世界最高のアスリ−トと認める!!」と、ここにアイアンマンがついに産声が上がりました。 そして1977年2月、ジョン・コリンズを含め15人の人々が、この途方もないレ−スに挑み、この栄えあるレ−スを征したのはゴ−トン・ハラ−の11時間46分3でした。史上初のアイアンマンの称号を得ました。ジョン・コリンズも17時間で完走しました。 |
日本では1981年に鳥取県皆生温泉において発祥し、以後1985年の宮古島大会・アイアンマン琵琶湖大会(1997年で終了)などを皮切りに、年間100を越すロング・ショ−トレ−スが行なわれてます。そして、2001年7月長崎県福江島(五島列島)において、アイアンマンJAPANが復活します。 岡山県も牛窓トライアスロン(現在は終了)以来、1999年よりファッションタウン児島トライアスロン大会(オリンピック同様・水永1・5K・自転車40K・マラソン10K)が、行なわれてますが、JTU(日本トライアスロン連合)は、すでに2008年北京オリンピックに向けて動き始めています。今後トライアスロンは、日本でも更なる発展が、期待されます。 当整骨院と、トライアスロンの関係について もずがはな整骨院院長は、1989年の岩国レイバ−ス・トライアスロンを皮切りに、現在までロング・ショ−トを含め30レ-ス以上に出場し、アイアンマン・宮古島・皆生大会も完走しましたが、自己のスポ−ツ障害の苦い経験から、アスリ−トの治療・ケアに携わり、1993年よりトレ−ナ−として活動を始め(トライアスロンのトレ−ナ−以外にバレ−ボ−ル・野球・競泳・自転車etcなどにも携わり、国体・国際大会などのトレ−ナ−を勤めました)、1999年の開業後もトライアスロンには選手以外としても、審判・指導・トレ−ナ-等で携わっています。 |
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