怪物に出会った日 井上尚哉と戦うということ/森合正範 2023年 評価:5


 日本史上最強ボクサーである井上尚弥と戦ってきた選手などへのインタビューを通じて、井上の規格外の強さとは何かを探求することから企画が始まったノンフィクション作品。しかし、現役バリバリの井上は今なお進化中であり、図らずも、井上と戦った選手やその周りの人々の人生を浮き彫りにすることに重点が寄った内容となっている。

 井上尚弥と戦うこと、それは戦う側にも覚悟や野心が必ずある。その強い気持ちを持った男達の物語であるから11章すべてが激熱。ボクシングは、結局リングの上では一対一の孤独な戦い。頼るものは自分の拳一つ。それだからこそ怪物に対峙する男の覚悟が並大抵でないことがわかる。一方で、決して一人ではその重圧に耐えることはできない。傍らには恋人や妻、家族、肉親でなくてもサポートチームがおり、その支えがあるからこそ、彼らはリングに上がることができる。本作では、その取り巻きを含めた人間模様が、純粋な覚悟を持った主人公であるボクサーの周りで見守ってきた人たちの温かさをも浮き彫りにする。井上と戦うという人生最大の決意が彼らの人生の中で燦然と輝く財産になっていることを本書は明確に示す。

 特に、井上3戦目、日本ライトフライ級1位だった佐野の第1章が泣かせる。ベテランの域に達し、それなりの能力があり日本チャンピオンにもなりえた佐野がたった2戦のキャリアの20歳の井上の壁になることを選択。その裏にある人生と、圧倒的な井上優位の展開の中で9Rまでは耐え抜いた根性、そして恋人の支え。まさにボクシングというスポーツの残酷さ、崇高さが凝縮した一編だ。

 井上の強さというのは、ボクシングの強さを図る評価軸(スピード、パンチ力、ディフェンス能力、動体視力、打ち込む勇気等々)があったとしたら、そのすべてが満点評価という完璧なボクサーだということだと思う。本作によって、その強さを一流ボクサーの視点から語ることで、素人視点的にただ「強い」と感じる以上の、技術的な突出能力を知ることができる。