二十四の瞳/壺井栄 1952年 評価:4
1928年、瀬戸内海に面した小さな村の小学校の分校に赴任してきた新任の女先生は、当時としては珍しい自転車に乗り、スカート姿で颯爽としていた。1年生を受け持ち、物おじしない姿勢や活発な教鞭でしっかり児童たちの心をつかむが、児童が作った落とし穴に落ちてアキレス腱を切ってしまい長期の休養となる。4年後、その1年生たちが5年になり本校に通う時に、また女先生が受け持ちとなる。しかしその後日本は徐々に戦争に邁進していき、ついには少年兵も駆り出される事態となる。戦争が終わった1946年、何かをなくしてきた女先生も、かつての1年生も集まり同総会が開かれる。
映画版が素晴らしい出来で(セリフが聴きとりづらいが)、どうしてもそのイメージが先行してしまうのだが、原作を読んでみて、原作に実に忠実だったのがわかる。女先生を演じた高峰秀子は原作を読みながらその顔を思い浮かべても全く違和感はないし、映像と原作もイメージがぴったりする。
本で読むと、反戦色が濃い作品であるのが良くわかる。どちらかというと女先生の魅力とそれに魅かれた子供たち、という印象がある映画と比較すると、小説では、戦争が原因で夫と娘をなくした女先生や、戦いに出て命を落とした男生徒、貧困の中、身を売ってまでして生きていかなければならなかった女生徒、そういう当時の日本の一般的な市井を描くことによって、戦争の無意味さを表現することに力が注がれていることがわかる。原作と映画版、双方が補完しあってより深い芸術作品と感じさせる稀有な例だと思う。