天人五衰 豊饒の海(四)/三島由紀夫 1971年 評価:4


 「豊饒の海」シリーズの最終巻。三島は本作の入稿日に、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した(三島事件)。

 76歳となり、金銭的にはさらに裕福になっていた本多であるが、妻には先立たれ、ただ老いに身を任せるような平凡な日常を送っていた。そんな折、ふと立ち寄った清水港の灯台で、美しく、どこか現実離れした風情のある十六歳の少年・透に出会う。そしてその徹の脇腹には、松枝清顕や飯沼勲、ジン・ジャンと受け継がれてきた三つの黒子があった。本多は透を養子に迎える。

 三島事件の決行日は決めていたからか、本作の後半はかなり展開が速い。最終的には一巻で出家して尼になった聡子にようやく会うのだが、そこで、輪廻を信じそれを心の拠り所に生きてきたような本多の、その人生の無意味さを痛感させられる一言が聡子から発せられるのだ。このあまりにも無残な人生の終末までの小説としての終焉が、これまでの四巻分の硬質な文章の積み重ねにより、一層に強烈な印象を残す。すごい小説だと思う。

 一応、四巻すべて読んだので、このシリーズ全体の感想を、素人視線で書いてみたいと思う。本作品は三島自身が遺作と覚悟して書いただけあって、大局的に三島自身を理解できるものだと思う。一巻の純粋な恋愛遊戯。これは三島自身が経験した、または憧れていたものかもしれない。二巻の、志を果たした後、いかに清く死ぬかだけに囚われていた勲の心持は三島のそれと同じものだったのだろう。三、四巻では老いというものを殊更に醜く、遺棄すべきものとして執拗に描く。その姿勢の中には、小説、戯曲界で頂点を極め、肉体的にもボディビルを続けてピークを迎え、そのあと待つのは老いだけという将来に、常人より感受性の甚だ敏感な三島の耐えられない気持ちが伺い知られるのだ。三島事件は、一応、自衛隊に決起を促す体は取っていたものの、拡声器は使わず、クーデターというにはあまりに小規模で本気度は少ないもので、本来の思想よりも、そこに三島自身が死に場所を求めただけなのではないか。そう感じるほど、三、四巻の一線を退いた後の本多の将来に対する絶望的なほどの見苦しい姿の描写は尋常ではない。

 そう、確かに今正直に考えると、「老後(退職後)の楽しみ」という言葉はよく聞くが、肉体はいうことを聞かず、行動力や活力も間違いなく衰えていく中、それが本当に楽しいものになるかは大いに疑問を持たざるを得ない。そんなことを夢想するのではなく、今を楽しく生きることがやはり一番重要で、それでもその今も日に日に劣化していくということを受け止めるべきだろうと思う。こんな人生観を持たせてしまうこの小説は罪とも言え、それほど人生すべてをぶつけた小説を三島は執筆したのだと思うに強烈で凄まじい内容で、シリーズとしての評価は5である。