華氏451度/レイ・ブラッドベリ 1955年 評価:5
数百年後の世界。人々は、耳の中に収まる超小型ラジオと部屋の四方の壁に掛けられた巨大テレビからの映像と音に囲まれ、あらゆる情報が凄まじいスピードで振り降ろされてくる中、自ら考えることをやめ、記憶力も衰え、テレビの中の疑似の家族とともに生きている。その世界では、書物は人に考える時間、感情をもたらすとされ、書物を持つ者は犯罪者と扱われ、家ごと焼き払われてしまう。焚書官であるモンターグはそのような世界で疑問を持たずに暮らしていたが、ある日隣家の少女に書物や自分で考えることの大切さの話を聞かされ、自分の生活に疑問を抱き始める。
60年前の小説だが、そこで暮らす虚無的な人々の描写は、現在の人間に重なることが多く、寒気がしてくる。溢れかえる情報はスピードを増し、また、より感情に訴えるために過激になる。テレビでは明らかに昔よりくだらない、ためにならないバラエティ、同じような内容の番組で溢れ、そのほとんどで、さもその感情を持たないのがおかしいというかのように笑い声や「エー」とか「アー」とかの感嘆する声がバックに使われ、人により異なるはずの感情さえ強要する。考えないこと、外からの刺激物に流されて生きていくこと、さらにそれに気づいていないことの怖さが、特にモンターグの妻を通じて描かれる。そして国民に知られない中で勃発する戦争により、数秒で国が破滅してしまうラストは衝撃である。
常日頃考えることのあるこの現代の問題点を、半世紀以上も前から警鐘をならした本書はSFではあるが、単純にSFと分類できないほどの先見性を持っている。考えることの大事さを改めて認識させられる深い造詣を感じる名作だ。