冬の鷹/吉村昭 1974年 評価:4


 杉田玄白が訳者として有名なオランダ医学書の翻訳「解体新書」の実際の訳の中心人物であった前野良沢の苦行と、その妥協を許さぬ生きざまを、蘭医学者として名声を博し、後世まで大きな影響を残した杉田との対比を通して描いた、もちろん吉村昭作だからこその史実に裏付けられた硬派な歴史小説。

 当時、初めての本格的オランダ語訳として信じがたいほどの高度な書物に仕上がった「解体新書」だったが、それでも誤訳が多いはずとし、訳者に名を連ねることを拒んだ前野は良い妻や子供に恵まれるが、長女と息子を若くして失い、その後に妻も失って、最後は極貧の生活に落ちぶれた。一方、杉田玄白はオランダ語を語学として極めることは早々にあきらめ、新しいオランダ医学を広めることに奔走。最終的に医学の進歩に大きく貢献するとともに、杉田一門として発展し待遇も格段に良くなった。そのどちらが良い人生だったかは人それぞれの判断だし、作者もお互いの長所、短所を余すことなく書き、自らその判断を下すことをしない。

 とことんまで調べ抜いて、できるだけ作者の勝手な創作を少なくすべく執筆に取り組む吉村昭の姿勢から生まれる文章は、その特質からあまりドラマチックではないし、盛り上がりというものもあまりないのだが、私の性に合っているのだろうとは思う。とはいえ江戸時代中期、執筆時でいえば200年も前の話であり、幾分創作部分もあり、それが程よい加減の娯楽を加味している。1冊420ページほどの作品なのだが、あまり会話部分はなく、史実に基づく記述が多いので、とても中身が濃い印象がある。歴史が苦手だった私は頻繁に出てくる平賀源内くらいしか知らないのだが、寛政の三奇人といわれる高山彦九郎(初めて知りました)との関係などもかなり細かく記載されており、歴史書として見ても面白い作品だと思う。