レ・ミゼラブル/ヴィクトル・ユーゴー 1862年 評価:2
一片のパンを盗んだために捕らえられ、脱走を重ねたために19年間の監獄暮らしを続けたジャン・ヴァルジャンは、釈放されても迫害される毎日に嫌気が差し、親切に泊めてくれた司教の家の銀の燭台を盗む。しかし司教は寛大な心でジャンを許し、自分の良心に目覚めたジャンはやがて町の工場長から市長まで上り詰める。しかしある者がジャン・ヴァルジャンと間違って捕らえられたとき、彼は良心に抗えず、すべてを捨てて自分がジャンだと名乗り出る。昔の小さめの字で2400ページを超える長編。小学生のときに読んだが、それは小学生用の短縮版だった。
まず、誰もが気づくのが、物語の進捗に直接は関係しない1700年代後半から1800年代半ばにかけての史学、社会学的な記載の多さ。例えばこれが日本の小説だったとして、江戸時代後期の社会の風俗や一般人の考え方、地域の特色などが全体の1/4を占めていたとしたら、一般の読者はうんざりするだろう。ましてや舞台はフランス。しかも登場人物に雄弁家が多く、当時の比喩を多用しながら延々としゃべり続けるところも多いため、正直全体の1/3は斜め読みと言っても過言ではない。
また、最近、昔読んだいわゆる名作というものを再読して気が付いた、登場人物があまりに狭い世界の中でもつれ合っている現実味のなさがどうしても気になって仕方がないし、1900年代前半の日本の小説にも見られる、いわゆる財産のある層の人間は働かなくてものんびりと、しかもそれが当たり前のごとく暮らしていける社会事情の中に生きる登場人物、特にコゼットが恋するマリユスに魅力を全く感じない。
さらに、聖人のように生まれ変わったはずの、銀の燭台以降のジャン・ヴァルジャンは、娘同様に育ててきたコゼットがマリユスに恋してから、嫉妬に駆られる全く魅力半減の老人になってしまう。また、憎んでいた瀕死のマリウスを下水道を通って救うまでの心の移り変わりが全く描かれないし、ラスト近くで、自分の素性をマリユスのみに知らせ、その後も毎日コゼットに会いに行くという未練がましい、ジャンをかわいそうな男に見せようという演出もかなり鼻について、嫌な後味しか残さない。とても有名な作品だが、何とか読みきれた、というレベルの評価2がしっくりくる。