太陽黒点/山田風太郎 1963年 評価:5
戦後15年程度が経過し、復興に沸く日本。アルバイトをしながら大学に通う鏑木は、アルバイトで鉄棒を取り付けに行った豪邸の庭で行われているバーベキューパーティで、大会社の奔放な娘の遊び相手として目をつけられる。初めはその伝を利用して人生を楽しくしたいと考える鏑木は次第に娘や階級の違いに無理にあわせるうちに壊れていくが、この一連の人生模様には裏で糸を引く、戦後の日本のあり方に疑問を抱く一人の人間がいた。
読み始め当初は、スタンダールの「赤と黒」のような美貌を武器にのしあがる青年の物語かと、なにか既知感を感じながら読み進めていたが、途中から一変して主人公が鏑木からその献身的な同居者・容子に変わるとともに、鏑木はほとんど登場しなくなる。そして更に主人公が変わっていく。ある物語の筋を複数の視点で描くという手法は良くあるが、物語の軸がはっきりしないまま主人公が変わるというストーリー、そして、戦後、敗戦国になったにも関わらず戦前より幸せそうに暮らす若者と、戦時中に失われた青春時代を過ごした中年層との意識のギャップの描き方が実に見事で、物語にぐいぐい引き込まれた。
確かに裏で遠隔犯罪を行う犯人の行動は上手く行き過ぎだし、現代の感覚からすれば、そんな稚拙な…との印象はあるが、それは結果論からみればそう見えるというだけである。犯人は標的の死刑執行まで時期を決めたわけでもなく、またそこに至るプロセスも綿密な事前計画を練ったわけでもない。緩くて時間に束縛されない犯罪なのであり、だからこそありえると考えられる。
今の時代となっては物語の背景は古めかしい。しかし、確かにこの作品が描かれた昭和30年代というのはこの小説のようであっただろうし、先の見えない底辺に生きる人間の「誰かが罰せられねばならぬ」という意識も非常に良くわかる。