ガリヴァー旅行記/スウィフト 1726年 評価:5
「ガリヴァー旅行記」といえば、ほとんどの人が思い浮かべるのは、小人たちの国で縄で雁字搦めにされているガリヴァーの絵だろう。または「天空の城ラピュタ」のパズーのセリフか。
本編は実は4編からなっており、1編が小人の国、2編が巨人の国、3編が空飛ぶ島ラピュータ、4編が馬フウイヌムが支配する国の物語である。それぞれが昔の小説の文字ポイント数で100頁程度あり、とても絵本でその本質を描ける文量ではない。描写がとても緻密で、それぞれの国に生きる生き物の精神的洞察も細かく、この本が書かれた当時は、もしかして本当にこういう国があるのかと思われていたのかもしれないが、地球上にはそんな土地は絶対にないと言い切れる現代においても、非常に興味深く、面白く読める作品である。確かに子供向きの物語とするのにお誂え向きのストーリーだが、スウィフトの主張は全く別のところにあり、今では社会風刺小説としての地位を確立している。
まず全編にわたって感じられるのは、普通に地球上に存在する人間という生き物が、どのような世界においても万物の長ではないということ。これは地球上ということだけではなく、それぞれの小さいコミュニティーや会社などに自分を当てはめても、良く考えるべきことだ。それは相対的な問題であって、どのような環境であっても、そこで誇りをもって生きられるかということが大事であるという俯瞰的見解である。
1,2編では自分より大いに小さい、または大いに大きい生き物の中で、どう差別をせず、卑屈にならず、自分を狂わせずに生きていけるかが主眼となる。3編は人知に優れた人種が空飛ぶ島で、そうでない人種が地上で暮らす国が舞台になっているのだが、空飛ぶ島の人種は必要なもの以外は退化してしまい、どうにもならない議論を延々とし続ける。地上の人種は馬鹿馬鹿しい研究のみを続けているという、自分のエリアだけで生きることがいかに自分の心を閉鎖的にするかを風刺している。極めつけは4編で、スウィフトの言いたいことの原点はすべてここに凝縮されているといっていいだろう。ここの国で暮らすのは理性のみに基づいて生活する、高い知性を持った馬フウイヌム。そして人間はヤフーという醜悪で嫌悪感のみを感じさせる生き物に退化しているのだ。この編でガリヴァーはヤフーが人間そのものであることを感じ、フーイナムの国で一生暮らしたいと願う。しかし退国を命じられ、故郷に戻るのだが、家族が近づくことすら嫌悪する。スウィフトは人間という生き物の下劣さ、性悪さを徹底的にここで暴く。
延々と争いを続けるこの世界には平和は訪れそうもなく、如何に人間という生き物が欲深く愚かであることか。馬であるフウイヌムの国を理想郷と描くほどの強烈な風刺を300年前に書いたということ、またその徹底的な内容に驚かされる。