草原の椅子/宮本輝 1999年 評価:5


 50歳になる遠間はカメラ会社の営業局の要職にあるが、今は妻と離婚し、娘と二人暮らし。ごく普通の人生を送っていたが、営業先のカメラ量販店社長の富樫と親友になったり、母親から虐待を受けて心身未発達の5歳児を預かったり、会社の近くの陶器店店長の40歳のバツ1女性・篠原と知り合ったりし、その4人で人生の生きる意味を探しに最後の桃源郷といわれるパキスタンのフンザに旅に出る。

 遠間は40歳のときに技術職から営業職に配置転換され、その後異例の早さで出世をしたが、仕事ぶりや休みの取り方、仕事に対する考え方から、そのまま勢いに乗って役員まで上り詰めるような人物ではない。篠原の出会いに心ときめいたり、大学生の娘との接し方に悩んだり、糖尿病の兆候が出たことに戸惑ったり歳を感じたり、極々一般的な中高年である。特別な人間ではないからこそ、富樫とのやり取りの中で交わされる「正しく生きる」という考え方、それに則った行動の数々が、少しずつ、繰り返し私の心の表面にある汚らわしいもの、つまらないことを剥ぎ取っていくような感覚になる。

 ほとんど特別な展開はないし、かっこいい、目標とする生き様を感じさせる登場人物が出てくるわけでもないが、宇宙の中では本当に我々はちっぽけな存在であるけれども、それぞれが正しく生きれば、幸せな生き方ができるのではないか、逆に、どんなに偉ぶっても、プライドを高く持っても、自分を飾っても、所詮は一介の人間に過ぎないのだから、それなら自分を正直に把握し正しく生きることが大切なのではないか、ということを感じさせてくれる。今の私の立ち居地を考えるとき、そのような精神的な安定性を感じられることはとても貴重であるし、人間として大切なことを呼び覚ましてくれる重要な作品でもある

 10年近く前に読んで以来の再読となる。前回は日本の小説の中で最も好きな作品と感じられた。「素晴らしい」でも「芸術的」でもなく、「好きな」という形容が最も合っていると思われる内容で、サン・テグチュベリの「人間の土地」が、魂の奥底に訴えかけるものとすれば、本作は日々生きていくうえで表面に出る人間性に影響を与えてくれる内容である。再読した今回も、その気持ちは変わらない。