ターン/北村薫 1997年 評価:4
29歳で独身の銅版版画家森真希は7月のある日15時15分、自分の乗っていた軽自動車で交通事故に合い気を失う。目覚めると、いつもの家の座椅子に座っていた。しかし、その世界には真希以外誰もおらず、また、次の日の15時15分になると、一日前の同じ時間の同じ場所に戻ってしまうのだった。そんな世界で150日以上が過ぎたある日、電話が鳴った・・・
1日単位でタイプスリップを繰り返すという設定は珍しいものではなく、題名は忘れてしまったが、学生時代に海外のSF物で同じ設定の小説を読んだことがある。その小説では、人間が一人になるわけではなく、自分が変えたものはそのまま変わるのだが、1日の記憶はすべて消えてしまう。スリップで元の時間に戻った後は何も覚えていないゼロからのスタートになってしまうので、そのサイクルに気づいた主人公は出来事をすべて記録することにしていた(結末は忘れてしまった)。本作は、記憶は残るが、すべてのものが1日前に戻る。どちらが辛いかといえば後者だろう。何をやっても、やった記憶があっても後に残らないのだ。
本作は1/3以上、そのような世界の暮らしを描写し、大きな出来事はない。はじめは2人称で語られる文体にも違和感を感じ、いまいち集中し切れなかったが、途中で、これはSFなのではなく、その体を借りたドラマだと気づいた。自分のすることに結果が見出せない世界でどう生きて行くのか、何かが、それが小さなことでも起こるということが、あまり気づかれないが、いかに素晴らしいことなのか、そういう物語だ。
主人公が女性であるとともに、主人公を優しく見守る男性が出てきたりすることから、内容的に女性に余計に受ける作品だろう。この作者は全く知らなかったが、男性でありながら女性の心理をとてもよく表現していると思う。
何点か都合の良い設定があることと、本作のあとがきで作者自身が解説しているタイムスリップの設定に致命的な矛盾点があることなど、いくつか気になる点があるが、私が女性だったら、また、細かく出てくる銅版画の手法を知っていたら、評価5を与えてもおかしくないだろう。