さぶ/山本周五郎 1963年 評価5
時代は江戸時代末期か。同じ経師屋に15才で奉公に来た、端正な面構えと気の強さをもつ栄二とずんぐりして愚鈍なさぶは、お互い助け合いながら、何とか一人前の職人になるための努力を続けてきたが、ある日お得意様の店の金襴を盗んだかどで栄二は石川島の人足寄場に入れられる。身に覚えのない罪をきせられた栄二は、復讐だけを胸に秘め、頑なに生きていくことを誓うが、寄場の仲間や同心とのふれあい、そしてどんな状況でも尽くしてくれるさぶと、将来一緒になることを誓ったおすえ、本音で話せる女友達のおのぶなどの献身的な姿勢に、次第に心が動かされていく。
心が強く、行動に筋が通っていて、自然周りから慕われる好男子の栄二であるが、それに溺れることなく次第に周りの言葉や行動を受け入れる正直さは魅力的だし、献身的なさぶやおすえ(その理由は最後に明かされる)、その時代としては先進的なおのぶ、それ以外の登場人物もそれぞれ魅力的で、みなが極貧しい、苦労している人々であるが故、発する色々な言葉が身にしみてくる。若いころに読めば、復讐心が薄れていく栄二に弱さを感じたのかもしれないが、周囲の人間の気持ちを感じることの出来る今となっては、所々で発せられる含蓄の深い科白が、それもわざとらしくない会話の中に潜んでいるものだからいちいち心が打たれる。
山本周五郎の作品は今回初めて読んでみたのであるが、彼は「純文学と大衆文学の垣根を取り除いた作家」と評されることもあるらしい。たしかに過度にはならないドラマチックな展開は大衆文学的ではあるが、季節の移り変わりなどの瑞々しい描写や人の心の移り変わりの丁寧な掘り下げは純文学的であり、言い得て妙という評である。人間の弱さを描きながらも人生にとって大切なことを問うこの作風は、今の私にとって癖になるような作家と感じており、今後も何冊か読んでみようと思っている。
あと個人的には登場人物間で交わされる江戸の言葉遣い(特に「すっとこどっこい」を繰り返す権蔵)が祖父を思い出し、とても懐かしく気持ちになる。
蛇足だが、先日読んだ宮部みゆきの「模倣犯」は確実に本作の影響を受けていると思われる。何でも出来て女からも好かれる栄二(浩美)、愚鈍で献身的なさぶ(和明)、行動的な女性おのぶ(和明の妹)と構図は全く同じである。