前田利家/戸部新十郎 1981年 評価5


 戦国時代に織田信長、豊臣秀吉の重臣として使え、加賀百万石の礎を築いた前田利家の伝記物。よくある伝記物と異なるのは、膨大な資料に裏づけされた史実に出来るだけ忠実に習った点。

 180cm以上という当時としては破格の体躯を誇り、「槍の又左」と恐れられた豪傑を、その戦いの描写を中心に書くことも出来たであろうが、本作はそのような武勇はほんの触れるのみ。約60年の生涯を史実から俯瞰して見せることで、この魅力ある歴史上の人物の生き様を浮き立たせた傑作。
 前田利家は、傑物信長と秀吉の家来という位置づけにあったので、どうしても影が薄い存在であるが、信長の時代は柴田、丹羽に次ぐ地位をその武勇で築き上げ、信長亡き後は青年時代からの朋友であった秀吉に仕えた。秀吉が常軌を逸した行動をおこし始めてからも、周囲の大名との調和を取りながら、秀吉を支え、その生き方は「律義者」と評された。秀吉の時代は徳川家康と唯一対等に渡り合えた重臣であり、家康側といわれる大名からも慕われていたため、利家に天下を取る野望と、健康な体があれば歴史が変わっていたかもしれないという大人物なのである。

 荒ぶる戦国時代において、「おやじ殿」と呼んだ柴田勝家を裏切る形になったものの、北陸の地の一向一揆を納め、北方の勇、上杉と伊達との調整を滞りなく成し遂げ、不可解な秀吉の朝鮮征伐にも率先して協力しつつも、地元加賀では百万石文化を育んだ。武勇に優れていたため武断派から、また、文化を理解し、算術にも秀でていたため文治派からも信頼されていた。その上律儀で、自分の正しいと信じた道を歩んだ人生は、男なら誰でも憧れるものだろう。

 結局家康は利家と敵対することは不利と見て、利家が亡くなったあと、対前田家という形ではなく、対石田光成という構図で戦い、天下を取った。そして前田家は徳川家とも上手く付き合いながら加賀を200年にわたり統治し、立派な文化を築き上げたのである。そのもととなる利家の篤実ぶりが華美な装飾のない文章で語られるため、素直に敬服できる読み物となっているのである。