こころ/夏目漱石 1914年 評価4


「私」は大学を出ても職に就かずにのんびり過ごしているが、同じような境遇の書生のような生活をおくる「先生」になぜか心惹かれるものがある。だんだんとうち溶け合っていくうちに、父の急病で故郷に帰っている「私」の元に、「先生」からの遺書が届く。

 「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」というセリフが、大学時代に読んだ私の脳裏に焼きついていた。今初めて読むとしたら、この言葉だけに捕らわれることはないと思われる。この時代の著名な作品によくあるように、登場人物が特に働いてもいないのにほぼ不自由のない生活を送れており、生きていくための活力や、家族というものへの責任を感じられないところは、本作で顕著なように登場人物に厭世的なものを感じてしまい、共感できない部分が多いのはしようがないことなのだと思う。

 確かに、文豪と言われるだけの緻密で精神を抉るような文章。それはそこまで鋭利ではないにしてもドストエフスキー的であり、一方、外見的には極普通の人間の内側を暴いており、抉るのではあるがそれが精神的に落ち着いているところが、日本の情緒も感じるものである。

 海外では「私」と「先生」の関係を同性愛と見る向きもあるそうで、確かに今の世の観点からはそう見えなくもない。お互いにそう親密な会話を繰り返していたわけではないのに、延々と続く遺書がなぜ「私」の元に届けられたのかは唐突で、普通の友情からは説明がつかないようなところもある。そういう不自然なところはあるが、100年近く前の日本人の精神はこうであったのだろうと、妙に得させるだけの情緒と抑制された冷徹とまで言えるほどの自己分析を忌憚なく綴れる才には驚かざるを得ない。