ある日どこかで/リチャード・マシスン 1975年 評価4


 私の最も好きなロマンス映画「ある日どこかで」の原作本。ちなみに著者のリチャード・マシスンは「縮みゆく人間」や「激突!」などファンタジー、SF、ホラーを手がける、映画とも縁が深い一流の作家である。

 劇作家のリチャード・コリアは脳腫瘍で余命数ヶ月と診断され、余命を気ままに過ごそうと旅に出る。旅先で偶然泊まったホテルの史料室にあった約90年前の舞台女優エリーズ・マッケナのポートレイトに魅せられ、彼女の生涯を調べて行くうち、泊まっているホテルでの1回限りでの舞台が彼女の人生の転機になったことを知り、さらにその舞台当日の宿泊者台帳に「R・C・コリア」という署名があることを発見。彼女との出会いは運命であると考え、周りの環境を90年前に整え、精神を集中することで、タイムスリップすることに成功する。

 武者小路実篤の「愛と死」にも通じる純粋な、駆け引きのない二人による関係の構築、愛情に満ちたやり取り(「愛と死」に比べ、洋物なので肉体的なものもある)がなんとも言えずいい感じだし、タイムスリップまでの丁寧な語りも好感。まぁ、思い入れの深い作品なので、あまり細部を語っても公平性がないため、今回気づいたことを書いてみようと思う。

 文学としては、コリアの心境描写に低俗、無駄な記載が結構見受けられ、その都度残念に思ってしまう。エリーズは占いにより2度も予言され、そのとおりに現れたコリアであったとしても、なぜ、そこまでコリアに夢中になれるのか、コリア自身の魅力を文面から十分に感じられないところがどうにも引っかかってしまう。ただし、小説版は、コリアは脳腫瘍による幻影を見ていたという説を有力視して終わっているのだが、このような文章はそれを証明するためなのかという気もする。

 当時の淑女らしい振る舞いをする点において、エリーズは小説のほうがより魅力的だが、映画版のほうが良いと思われる箇所もある。脳腫瘍には触れず、本当にタイムスリップしたと思わせる演出、コリアが惹かれるポートレイトのエピソード、「スーパーマン」のクリストファー・リーブ演じるコリアが端正な顔立ちで、誠実で魅力的であること、そして荘厳なマーラーではなく上品なラフマニノフをメインテーマに使用したことだ。