雪国/川端康成 1947年 評価4
妻子がありながら越後湯沢温泉に年に数度逗留する島村は、当地では芸者の駒子と過ごすことが多い。また、当地には行きの汽車で興味を惹いた葉子という女もおり、葉子は駒子の許婚とされ、病気を患う行男の看病をしていた。
本作は1935年に書き始められ、細切れに連載されながら1947年に終章が書き足されたものであり、話自体も飛び飛びに数年間を描いている。駒子は明らかに島村といることに精神の安定を感じてはいるものの、島村自身は駒子に強い愛情を感じているかというとそうとも言い切れず、この二人の愛の物語とするには中途半端である。
男としては、資産家の血縁者で生活に窮することのない男(この当時の小説によくみられる)、親の遺産でのんびりと文筆家まがいの仕事をしていて、体裁も上がらない島村に魅力を感じるわけでもなく、駒子や葉子(より熱かろうが描写が少ない)の心情がよくわからないので、ストーリーとして惹きつけられるものは少ないというのが正直なところ。
それでも高評価となるのは、この作者の文体である。ものすごく技巧的であるのだが、それに嫌味がつくわけでもない。雪国の、汽車の窓から見えた風景や澄んだ冬の空に流れる天の川、成立してなさそうで成立している、本来の人間間の何気ない会話など、風景や情景などを表現する言葉のなんと美しいことか。それは以前同様なことを感じた志賀直哉以上である。これらの文章は、日本人に美しいことを感じる大切さを思い出させるし、そのような表現を行うこと、思うことを率先させるような魅力があり、癖になりそうである。