アンナ・カレーニナ/トルストイ 1877年 評価:2


 青年将校と不倫の関係になるアンナとその夫カレーニンと息子のカレーニン家族、アンナの兄であるオブロンスキー(これも家庭教師と不倫)と妻ドリーと二人の子供の家族、ドリーの妹である若くて美しいキティと農業に打ち込む純粋なリョービンの3家族の物語が主軸として展開していく。アンナとリョービンの話の量は拮抗しており、決してアンナ・カレーニナが絶対的な主人公ではない。

 どうにも、内容に共感できない。その原因は、舞台が旧ロシアの貴族階級の生活であるからで、現代と比べ結婚の風習が違うし、貴族階級の、金という人生のベースに切迫性のない生活を基調に話が進んでいくためと考えられる。確かに様々な物語の中の、貴族の生活、農業のあり方、政治、宗教について色々な思想を込めたやり取りの記述、色々な登場人物それぞれの人物像の描き方、複雑な構成を整然と成立させている手法は小説として素晴らしいものであるとともに、思想家としてのトルストイの偉大さを感じさせはするが、物語自体はお昼のメロドラマ的な不倫を軸とし、それゆえ意味を成さない魅力の薄いやり取りがほとんどで、退屈と感じざるを得ない。それとつまらない決定的な原因は農民とともに農業に打ち込み、自分の立つべき位置をしっかりと把握しているリョービンを除いた登場人物に共感をもてないということだ。

 アンナは今風な魅力にあふれ、愛に忠実に生きている女性ではあるが、貴族階級にいる上での幸せを望んでいることから、現代に置き換えても存在しうる女性かというとそう言うわけではないし、精神的に病んで自殺するのだが、それも自業自得で、果たしてこの女性はなんだったの?という感傷しか残らない。また男性陣も金銭に関する問題はそっちのけで、貴族的振る舞いをすること、女性に対して不誠実で奔放に生活することが基本にあり、とても魅力を感じられない。

 文学史上最高傑作とも評される作品だが、過去の貴族階級を舞台としていること、それを土台とした人物の描き方は、今の私の感覚では面白いと思わなくなっているのかもしれない。そうすると、もしかして学生時代に感動した「赤と黒」「嵐が丘」「二都物語」など古典的名作も、今読むと面白くないのかもしれない。