三毛猫ホームズの推理/赤川次郎 1978年 評価:2
血を見るのが苦手で高所、女性恐怖症という若い刑事・片山を主人公に、都内のある女子大を舞台に起こった、女子大生や教授たちの連続殺人事件を舞台にした推理小説。今でも延々と続く三毛猫シリーズの第一作で、本書で主人を殺された三毛猫のホームズが片山とともに活躍する。
一時期、赤川次郎の小説が爆発的なブームとなったのは知っていたが、どうしても手が出なかった。読んで感じたのは、推理ということに重点を置いて、スピーディーに読ませるという全体の雰囲気が、中高生時代に嵌った「刑事コロンボ」の小説版に似ていること。それと、既評で厳しい評点をつけた「重力ピエロ」に、文体が似ていること。ただし、「重力ピエロ」が登場人物にありえないセリフを言わせているのに対し、本作は心情描写に、とってつけたような、なくても良い表現が入るだけなので、「重力ピエロ」で感じたような拒絶感は湧かない。
この類の小説は完全犯罪のトリックとそれを解き明かす過程が読ませどころだと思う。しかし、教授の殺人が、机や椅子を総て運び出した工事現場のプレハブ建ての食堂をクレーンで吊ることで行われたということが肝になっているが、いくら夜中でも机や椅子を総て運び出し、それを工事現場の穴の中に落としてコンクリートで埋めるというひとりでやったら何時間もかかる作業を行い、また午前3時という時間であっても女子大の寮から見える場所にあり、いくら何でもクレーンの吊り具とプレハブとの接続部から出る音もあるだろうに、その時間では「ほぼ見つかることはない」という希望的観測を元にそんな大げさなトリックを仕組むということ自体に全く信憑性がない。さらに、女子大生の連続殺人が一時的に記憶をなくした警視の仕業だったり、同じ日に同じ大学内で同じ教授を対象に殺人の計画があったりという、偶然的な設定が多すぎるのも白けてしまう。決定的なことに最後まで読む前に首謀者がわかってしまうとともに、首謀者を追い詰める描写がないのも面白くない。
映画も同じだが、この年になって人生をだいぶわかってくると、現実と作り物の乖離の大きさに気付くようになり、それが容認できなくなってくると、この類のものは満足できないのだろうと思う。本作も中高生時代に読んでいれば面白かったのかもしれない。今正直に冷静に考えると、「刑事コロンボ」の小説版だって、今読んであの時のような面白さをかんじるかどうかは疑問である。