孤高の人/新田次郎 1969年 評価:3
昭和初期の、登山は裕福な階級の人がグループを組んで行うもの、という概念を打ち砕き、短期間でありながら、単独行で日本アルプスの名だたる山を踏破した実在の人物、加藤文太郎の生涯を描いたもの。登場人物はほぼ実在の人物をモデルにしている。
作者である新田次郎は富士山観測所に勤めていただけあって、山登り、山の描写が、普通の作家とは違う。山の上に立ったときの本物の景色は、登った人にしかわからないもので、それは、本作品に良く出てくる表現「なんと言ったらよいかわからない」が本当のところなのだろう。
冬山を単独で登るというのは危険極まりないものだと思うが、そのために加藤が日常からとっている行動(何キロもある会社の行き返りには石の詰まったリュックサックを背負い、3日に1回は下宿先の庭で野宿)は、すべては山登りのために、という強靭な精神力あってのものであり、加藤の山にかける執念、それに向かうための姿勢と精神力が凄い。
このような素晴らしさ、厳しさを文面からだけであれ、感じ取れた今思うのは、私の性格(自分に厳しく凝り性、団体より個人スポーツ好き)からして、もし、学生時代にほかの事に興味を持つ前に山登りに嵌ったら、多分山登りに魅せられたのではないかということ。そう感じさせるほど、この作品の、山、自分を律することが必要な登山という行為は魅力的である。
私的には、この加藤の精神力と山登りの描写だけでとても気高い作品となるのだが、一般の人にはそれには受けないのか、女性を絡ませたり、上司、後輩との確執を挿入したりしているのだが(それは史実なのかもしれないが)、史実であるため結末を知りながら読む身としては、それがなんかとってつけたような不要物のように感じてしまう。それでも評価は4か5かと思っていたのだが、史実と大きく異なるといわれている最後の冬山登山があまりにひどい内容。後輩の宮村の計画に乗って久しぶりの冬山登山に行く加藤なのだが、それまでの人物像はどこへやら、確かに宮村の状況に自分に責任はあるものの、宮村の言うまま、それまでの信念を曲げた無計画に付き合う、全くそれまでとは別の加藤像がある。実際最後の冬山登山はこのような状況ではなかったようで、確かになぜこのようなストーリーにしたのか意図がわからないため、一気に評価は3に落ちてしまう。それなら、加藤文太郎自身が書いた「単独行」を読んでみたい。