暗夜行路/志賀直哉 1937年 評価:3

 最近読んだ武者小路実篤の友人である志賀直哉の作品については、近代小説の最高峰という評価があったことから、唯一の長編である本作を読んでみたものである。

 時任謙作はもの書きをして暮らしているが、特に文学について執着はなく、気の向くままに書くだけで、それ以外の時間は学生の頃の友人と女郎に行ったり、旅に出たりして気ままな生活を送っている。特に生活に多くの変化はなく、それこそ謙作の暗夜行路の状態を描いたのが前編。後編は、謙作の結婚、子供の誕生と死、妻の不貞、第二子の誕生を経て、山口県の山奥で悟りに似た境地に至るまでを描く。

 主人公の自堕落だが、それでも生活は問題なく成り立っているという、明治、大正時代の貴族的な生き方は、本人が悩んでいるつもりでも究極の基盤の部分が脅かされていないため、例えば「罪と罰」のラスコーリニコフのような危機感はない。これは時代の違い及び、ほぼ私小説しか書かない志賀直哉自身の知っている生活の範囲からくる外的な要因によるものとわかっていても、正直、感情移入できないところが残る。このため、ストーリー的に特に前編は退屈である。また、既評の武者小路実篤作品の話にも見られたが、当時上流階級の結婚というのは、当人同士の付き合いではなく、社会的な環境から周りから固められていくという当時では当たり前の風習も、現代との違いを確実に感じさせるものである。

 とはいえ、文章は全く無駄がなく、それでいて必要不可欠で効果的な修飾語が洗練性と文学性をもって存在。また、私小説という側面から、自身が目にしたもの、感じたこと(謙作のモデルは自分自身)の描写が正確でありかつ情緒的なのだが、それを感じさせる文章というものは、自分が見たもの、心の変化について、それぞれをよく考え、そして言葉にするという行為の中で天才的な才能がなければ書けないものであり、ここに志賀直哉の真骨頂を感じることが出来る。

 全編、日本語の美しさを感じ、私も正確な言葉使い、漢字使いをしたいと感銘を受けたものである。

 評価は、文学的な崇高さは全編に感じられるものの、前編は話的に上述のとおり、われわれの生活からは相容れないものであり、ストーリー的に起伏がないため2。後編は妻との関係や謙作自身の成長という面でのストーリーにも惹きつけられ4で総合3となる。