「雨に微笑を ベスト・オブ・ニール・セダカ 1974-1980/ニール・セダカ」 94年  評価4


 83年ごろから洋楽にはまりだした私は、凝り性の性格から段々と60年代、70年代の音楽も聴くようになっていった。その中で発見した驚きの一つがニール・セダカである。

 ニール・セダカといえば60年代初頭にポール・アンカと並んでシンガーソングライターかつアイドルとして一世を風靡したアーティストというのが一般的な認識。それが75年の年間チャートで忽然と「雨に微笑を」が8位に、「バッド・ブラッド」が93位に記録されていた(両曲とも1位を獲得)。翌年も91位に「悲しき慕情」が。そして、これらをFMで入手し、とても美しく完成度の高いポップスに魅了されたのだった。それにあとでわかったが、キャプテン&テニールが歌った75年の年間チャート1位の「愛ある限り」と76年39位の「ロンリーナイト」の両曲もニール・セダカの作曲なのである。

 こうなるとこの時代のセダカのアルバムがほしいと思うのは必然であるが、当時はどうにも入手できない。時を経て2000年に偶然、ピッタンコの期間のベストアルバムを銀座で見つけて即購入と相成ったわけだ。

 それでわかったのだが、このセダカの復活劇にはエルトン・ジョンが深くかかわっている。元々セダカのファンだった(二人ともピアノの才能は若いころから天才といわれていた)というエルトンが自身の設立したレコードレーベル「ロケット」から大々的に「雨に微笑を」を売り出したのがきっかけである。また、「バッド・ブラッド」のバック・コーラスはエルトンである。しかし、エルトンのレーベルから3枚のLPを出した後、再び脚光を浴びることはなかった。

 それでも、いくら当時最強のスーパースターだったエルトンの後ろ盾があったとしても、名曲の宝庫である70年代中ごろに自身の作曲した曲が3曲No.1に輝くというのは並大抵の能力ではない。それはこのベスト盤でもわかるところで、上述の5曲以外にも「ハングリー・イヤーズ」「アザー・サイド・オブ・ミー」という名曲もあるし、カーペンターズのカヴァーが有名な「ソリティアー」も厳かなクラシックだ。娘ダラ・セダカとデュエットした「面影は永遠に」も素晴らしいバラードだ。

 一方、非常に多彩な音楽性を発揮しているのだが、結局それが魅力を拡散させているところでもあり、また、風貌が普通の小太りのおじさんで、どうもカリスマ性がなかったのも数年で消えていった要因であろう。でもたぶん作曲家としては何曲かヒットを飛ばしているのではないかな。とにかく、私にとっては洋楽が好きになったことによって偶然見つけた宝石のひとつにニール・セダカがいることは間違いない。