「生きる」1952年日 評価4.9


監督:黒澤明
出演:志村喬、小田切みき、藤原釜足、山田巳之助、金子信雄、伊藤雄之助他

1986年、1987年、1990年、2024年5月観賞

 市役所に30年間無欠勤を続け市民課長となっていた渡辺だったが、お役所仕事の中で時間を潰しながら生きていた。体の変調を感じ病院に行ったところ、軽い胃潰瘍と言われたが、待合室の男との話で自分は胃癌で余命いくばくもないことを悟る。その運命をどう受け入れるかの判断がつかない渡辺だったが、かつての同僚で、お役所仕事がつまらずに玩具工場に転職した若い女性との話で、何か自分でも残せるものがあると一念発起する。

 34年ぶりの鑑賞とはいえ、4回目になるのでストーリーなどに対する新鮮さはないものの、まず改めて唸らされるのは構成の見事さ。胃のレントゲン写真で始まり、第三者のナレーションでの整然とした背景説明と映像で物語に一気に惹き込む。渡辺が自分が胃癌だと確信するきっかけを医者からの話ではなく、第三者とのやり取りにしたのも見事。突如として渡辺の葬式の場面になる展開も驚き。また、渡辺と愛する息子とのやり取りが完全にすれ違っていること、息子を愛し息子のためだけに生きてきたという描写も端的で的確。「光男、光男…」と志村の声でずっとバックグランドで入れ続ける場面もすごい。

 それ以外にも息子と部屋に行こうとして電気が消えるところや夕陽をバックに「美しい」とつぶやく逆光のカットなど、撮影や画角構成において感動さえしてしまう場面も枚挙にいとまがなく。とにかくどこをとっても完璧で、娯楽映画の教科書とさえ言えると思う。

 もちろんこれまでは、渡辺が悟ったように、自分はなぜ生きるのか、生き生きと生きるというのはどういうことかという教訓的なところに感動し、学生時代の4年間に3度も観て影響を受けてきて、その精神的影響は忘れられない名作なのだが、今回改めて感じるのは、全編お役所仕事に対するシニカルな視点を基盤にしつつ、重い内容でありながらも映画の娯楽としての側面を決して損なわず、絶妙なバランスを保っている点。端的な例では、後半1時間の葬儀のシーンでの適度なコメディシーン。特に、かつての部下たちが酔っ払って理想の仕事の仕方の議論を講じている(現代の日本でもいまだこういう流れはある)中での左卜全の「助役と言えよ!!」の一言には大爆笑。

 今回、久しぶりに観返して思うのは、どの世代にとっても何かしらの精神的教訓や純粋に映画としての面白さを感じることができる、やはり比類なき高みにある名作だということ。

 ただ、社会人になって30年を経過した今感じるのは、主人公渡辺が心身をささげる公園建設事業の各関係個所へのお願いが、基本、鬼気迫る表情での泣き落としなので、当時と今の仕事の仕方が異なることは百も承知の上でもやはり違和感はある。また、黒澤監督自身が言っていたように、志村喬の演技が余りに熱すぎて、ちょっと常人を逸しすぎてしまっているのがちょっぴり減点材料。あと、やはりセリフは聞き取りづらいね。字幕を付けてくれればいいのに。