「最後の誘惑」1988年米 評価4.6
監督:マーティン・スコセッシ
出演:ウィレム・デフォー、ハーヴェイ・カイテル、バーバラ・ハーシー他
1989年、1990年、2024年5月観賞
紀元前1世紀のパレスチナ。神からの言葉に苦悩するナザレのイエスは、神の啓示を受け入れ革命を起こそうとするが、さらなる神からの言葉で、ユダを裏切らせることで自らゴルゴダの丘で十字架に磔にされることを苦悩の上選択。十字架に打ち付けられたイエスは、生々しい幻覚を見る。
公開当時、イエス・キリストが磔になった際、人間として生きる誘惑に惑う精神を描いたことで大きな論争が巻き起こったと記憶している。
私は、宗教に関してはジョン・レノンがイマジン中で歌う「Nothing to kill or die for And no religion too」に全く同感であり、他宗派の神を認められないことで殺し合うことが戦争の主要因の一つ(特に中世以前においてはそれがほとんどの要因)だと思っているため、宗教の存在意義には懐疑的で、本作でキリストがどう描かれていようが、それが神への冒涜などとはつゆほども思わない。そもそも2000年も前に書かれた聖書が真実だけを書いていると考えること自体馬鹿げていると思うので、本作で描かれる、神の声が聞こえてしまう人間キリストの精神的苦悩と煩悶、エゴイズム、肉体的犠牲との戦いの凄まじさ、それでも最後には神の声に従うという精神の崇高さに、純粋に人間ドラマとして魅かれる。あまり宗教映画として考える必要はなく、それがゆえに大学時代に2度鑑賞しているのであり、特に無宗教の日本人にはかなり受け入れられる内容だと思うのだが。
私はキリスト教系の大学を卒業しているが不届きなことに聖書を一度も読んだことがないため、本作中のイベントがどれほど聖書に忠実なのかはよくわからないが、本作の主眼であるキリストの人間臭さを描くために、まぁ主だったエピソードは拾い、有効に活用されていて、それが本作が娯楽作としても高い水準にある理由だと思う。
前半のキリストが神の声を聴いて革命を起こすような人物になって行く過程は必要最小限のエピソードで無駄なく表現され、後半の磔になってからの人間生活への渇望からの、神の声の受け入れのシークエンスは、「2001年宇宙の旅」のような場面転換を見せながら、崇高な展開であり、2時間44分という長尺ながら全くだれることのない、スコセッシ監督作品の中でも指折りの傑作だと思う。
あと、デヴィッド・ボウイがピラト総督役で真面目に演技しているのと、音楽がピーター・ゲイブリエルというのもなんか嬉しい。
なお、スコセッシ監督(アカデミー賞受賞)で、とても良い出来の作品なのに、Wikipediaでの情報は驚くほど少ない。これは明らかに何らかの圧力がかかっている証拠であり、そんなところからも宗教的圧力の気持ち悪さが伺い知れる。