「市民ケーン」1941年米 評価4.2


監督:オーソン・ウェルズ
出演:オーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、ルース・ウォリック他

1988年、2023年5月観賞

 幼い時に両親の元を離され、25歳までニューヨークの銀行家に育てられたチャールズ・ケーン。彼は莫大な遺産で新聞社やラジオ局を買収し、センセーショナリズムを打ち出して発行部数を伸ばし、大邸宅ザナドゥを建設。しかし、晩年はザナドゥにて孤独に死にゆく。最後に「ローズ・バッド」という言葉を残して。

 今ではよく使われる、物語の時間的配列を再構築して主人公の人生を浮かび上がらせるという手法を始め、パン・フォーカス、長回し、ローアングルなどの多彩な映像表現など、当時としては革新的な技術を使っていることから、映画史的に非常に重要な作品である。私が特徴的に感じたのが、時系列にそって違和感なく登場人物が老化していくという点。製作当時のハリウッドシステムでは、スターはスターとして映ることが重要なので、描かれる期間が長い映画でも、不自然に俳優の老化がないまたは稚拙というのがほとんどなのだが、本作は全く異なり、どの俳優も無様に老けていき、その点の違和感は全くない。

 また、オーソン・ウェルズの俳優としての突き抜け具合もすごくて、ディカプリオを彷彿とさせるカリスマを感じさせる。一方で主人公ケーンが常人を逸脱した人物なので、例えばレオの作品でいえば「ウルフ・オブ・ウォールストリート」のように、主人公に感情移入しづらいという私の映画評にとっての欠点があるのも事実。

 映画史上最高傑作と長年評され続けていることは承知だが、一方で当時としての革新性は時代と共にその特長は軽減されるのもこれまた宿命である。時代を超越し評価され続けることに理解はしつつも、私の評点は今観てその映画が面白いかという観点でつけ、映画史的な重要性は加味しないため、4.2という評価にはなるが、それでも映画として面白いことに異論はない。

 なお、今回はDVD字幕版を観た。映画の評価には関係しないが、題名が「市民ケーン」だからなのだろうが、劇中ではチャールズと明らかに言っているのに字幕では「ケーン」を頑なに使っているのには辟易した。家族なのにいつまでも「ケーン」とは呼ばないだろうに。