「ゴッドファーザー パートⅡ」 1974年米 評価4.9


監督:フランシス・フォード・コッポラ
出演:アル・パチーノ、ロバート・デュバル、ロバート・デ・ニーロ、リー・ストラスバーグ、他

1983年、1990年、2022年4月観賞

 1901年。シチリア島のマフィアのドン、チッチオに両親と兄を殺された9歳のヴィトーは地元の住民に助けられ、アメリカに逃がされる。青年になったヴィトーはニューヨークのイタリア街で真面目に仕事に従事していたが、そのうち犯罪に手を染めるようになる。一方、1958年。ヴィトーの死後、ドンを受け継いだ三男マイケルはニューヨーク5大ファミリーのボス殺害後、拠点をネバダ州に置き、賭博と麻薬を資金源として勢力を広げていた。

 「ゴッドファーザー・サガ」の2回と合わせて、実質5回目の鑑賞。映画館で観たのは2回目。4Kリマスター版。周りの人たちの信頼と尊敬を勝ち取っていくヴィトーの若かりし頃と、孤独を深めていくマイケルを交互に描くことで、マイケルのファミリー運営の孤独感が一層浮き彫りにされる。

 ブランドのヴィトーを徹底的に研究したデ・ニーロのヴィトーはもう完璧。彼のパートは時間としてはそう長くはないのだが強烈な印象を残す。また、好々爺然としていながら執拗な執念深さを持つロスを演じたリー・ストラスバーグの嫌らしさ、分裂していく3兄妹、妻との破局など、すべての役者が最上級の演技を見せるマイケルの時代のストーリーも見どころ十分(見世物小屋で、兄が自身への襲撃の手引きを行ったことを悟った際のマイケルの苦悩のシーンが秀逸)。

 マイケルの時代にヴィトーの時代のような組織運営では生き残っていけないというのが現実だろうが、マイケルはやはり父ヴィトーを手本としたいことから、余計に孤独感が積もっていく。さらにマイケルのファミリーには全く笑顔がないという徹底的な描き方によって、映画は全体として沈痛な色彩をもって濃密に進行する。

 そのヴィトー時代との対比は最後の1940年のヴィトーの誕生日、父を待つ5兄弟のシーンに集約されている。マイケルは「自分の将来は自分で決める」と言い、海軍に入隊したことを告げる。そして、他の4兄弟が父を迎えに行く中、マイケルだけがテーブルで一人佇む。そう、マイケルはこの時から一人だったのだ。彼の思想、生き方が根本的に他人を必要としない考えから成り立っていた。組織の運営のみならず、ケイとの結婚生活や子供たちとの距離感も、すでにこの時から確立していた思考による必然だった。そういう自分自身を受入れざるを得ないやるせなさが、マイケルのラストの哀しく虚ろな視線に凝縮している。

 200分という上映時間はもちろん長いが、それ以上に俳優たちの演技の素晴らしさ等により複数の登場人物の人生の濃密さまでを感じさせる傑作。映画観賞中のみならず、観終わってからもあのシーンにはどのような意味が込められているのかを考え続け、そのたびに新たな発見ができるという非常に奥深い稀有な作品。もう二度とこのような濃厚な人間ドラマを描く作品は作られないだろうと思う。

 一方で、マイケルの時代のシーンには主要な登場人物が心から和んでいるというシーンは皆無であり、その分観ているこちら側の心情も沈降した層の中でしか動かないということに好き嫌いはあるとは思う。なお、これは映画評とは別に考えるべきだが、1,2回目の時は、話の展開と登場人物たちの心情を理解しながらついていくことで頭はフル回転していたが、5回目となるともう少し余裕もできることから、その感覚で観ていると、少々冗長なシーンもあることが感じられてしまう。