「アバウト・タイム 愛おしい時間について」 2013年英 評価4
監督:リチャード・カーティス
出演:ドーナル・グリーソン、レイチェル・マクアダムス、ビル・ナイ他
2021年3月観賞
イギリスはコーンオォールに家族で住んでいるティムは、21歳の誕生日に、父親から我が一族の男はタイムトラベルをする特殊能力をもち、それが21歳になってから使えるようになることを伝えられる。引っ込み思案で真面目なティムはタイムトラベルを少しづつ使いながら自分の人生を変えていく。
真面目な青年が、一族に伝わるタイムトラベル能力を使って、少しづつ大人に、人間として成熟していく過程はとてもファミリアでいい。主人公役のグルーソンは嵌り役だし、何より、2年前に出演した「ミッドナイト・イン・パリ」では婚約者をしゃべり倒す女性を演じていたマクアダムズがなんともチャーミングで魅力的。
ところが、ラストへシフトしていく頃に、冒頭で父から教えられたタイムトラベルに関するルール「過去には行けるが未来には行けない」が思いっきり覆されるシーン(妹と共に4,5年前に戻って帰ってくる)を観て、えぇーそれありなの?!と思ってから(といいつつ実はタイムトラベルができるようになってすぐ、数日過去に戻ってすぐにまた未来に飛んでいるのだけども。。。)は、彼らの行うタイムトラベルの矛盾点がチラチラと脳裏をよぎるようになってしまう(字幕版鑑賞。原語では“自分の生きてきた範囲を超えて”って言っているのかもしれないが、聞き取れず)。だって、それができるんなら脚本家を救った後にメアリーの家に訪ねた時間に戻ることで、そのあとメアリーとの関係を取り戻そうと何度も過去に戻る必要ないよね。ティムが過去に飛んだら、元の時代に生きている人たちはティムの失踪をどう感じるの?過去には過去のティムが存在するはずで、二人のティムがいることになるじゃない??妹の交通事故をなかったことにするためにいったん過去に戻って、でもまたもう一回何もしなかったことにするなんて、どうやったらできたの?とよく考えるに他のタイム・トラベルものに比較してかなり雑な設定であり、確かにタイムトラベル自体に関わる出来事が中心の映画ではなく、もっと人間の本質をつく「今日という日は今日しかないという気持ちで生きるべき」という教訓を優しく説くということが主眼ではあって、それはうまく観客に伝わると思うのだが、どうしてもその雑な設定に対する雑念が引っかかってしまう。
あと、存外に不必要な下ネタが多いのもちょっと気になった。