「ジョーカー」 2019年米 評価4.5 メジャー度4


監督:トッド・フィリップス
出演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ他


 1980年代、ニューヨーク、ゴッサムシティに住むアーサーは、精神を病みながらもピエロに扮した大道芸人として日銭を稼ぎ、老いた母親と共につつましい生活を送っていた。しかし、病院への慰問の最中に、同業者から譲り受けた短銃を落としたことがきっかけで大道芸人の会社を解雇され、自棄になったアーサーは夜中の地下鉄で酒に酔って絡んできた3人のエリートサラリーマンを射殺してしまう。それに追い打ちをかけるように母親が危篤状態に。アーサーはこのどん底の環境の中で夢だったスタンダップコメディアンの道を目指すとともに、母親の知られざる秘密を探るようになる。

 私は「バットマン」シリーズをほとんど見ていないので、ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャーのジョーカーを全く知らないのだが、ゴッサムシティを舞台にしているのだから、「バットマン」とつながりがあるのは間違いない。そのような背景があるのでジョーカー誕生の物語と紹介されることが多いのだが、過去作品のジョーカーとの関連はいざしらず、本作をしっかりと観ていれば「本作のジョーカー」が「過去作品のジョーカー」でないことは明確である。

 母と同じく妄想癖があるアーサー。ストーリーが進むにつれ、どこかからあれ?展開がおかしいぞと気づくはずで、そこがアーサーの妄想場面との変換点。私は、地下鉄での殺人事件(目撃者あり)後に捕まらずに行動を続けているところからおかしいと感じ、結果としては危篤となった母親を連れて精神病院に行ったところで警察に捕まっていると解釈した。途中からのストーリーが妄想であるということが明確にわかるのは、近所の黒人のシングルマザーとの逢瀬とラストの(警察の)精神病棟でのセラピーとの会話。それ以外は明確ではないのだが、話がアーサーに都合のいいように簡単に進んでいくので、明らかに妄想の中の出来事と解釈するほかない。ゴッサムシティ反乱のきっかけを作り、ジョーカーが象徴として祭り上げられるきっかけを作ったのがアーサーと解釈するのが正解だと思う。そのジョーカー像を利用して「バットマン」に対峙する別のジョーカーが生まれたというストーリーが一番しっくりくる(もともとのアメコミのジョーカーの出生はそうではないが)。

 とにかく、そのようなことを真面目に考えさせるほど、本作は良くできていると思う。まず、主演のホアキン・フェニックスの演技が凄く、アーサーの悲惨な境遇、生活していく上での悩みがひしひしと感じられるし、またビジュアル・映像・音楽も映画のトーンにばっちり合っている。やや暴力的なシーンが多いものの、一つの映像芸術として非常に見ごたえのある作品である。

 本作は1982年の「キングオブコメディ」(マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演)の影響が色濃い。コメディアンの重鎮として描かれるマレーをデ・ニーロが演じているだけではなく、コメディ番組への出演シーンなど、非常によく似ている。同監督・主演の「タクシー・ドライバー」へのオマージュもあり、映画ファンとしてもとても魅力的な作品。