「ゼロ・グラビティ」 13年米 評価4.5 メジャー度3
監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー
ロシアが地上6000kmの衛星軌道上の自国の故障衛星を爆破。その破片が周辺の衛星を破壊しながら高速で衛星軌道を回り始めた。故障修理のためアメリカの宇宙船外で作業していたライアン博士とコワルスキー技師は破片飛来により宇宙空間に放り出される。帰るべき宇宙船もなく、二人はこのまま宇宙の藻屑と消えるのか。
大海原に一人放り出されたら、こんな怖いものはないなぁと昔から思っていたのだが、まだ海のほうが、それが何の意味も持たないとしても自分の動きたいほうに動けるし、浮かんでいれば呼吸も出来る。ところが宇宙では一度加速力を得た物体はほぼ永遠にその加速力の影響を受けたまま運動し続け、携帯する空気がなくなれば生きられない。映画の前半では、その環境に放り出された恐怖・緊迫感が、静けさと無重力状態を表現する映像と3Dによって徹底的に描かれる。これは結局は作り物のホラー映画では絶対に体感できない恐怖である。
後半は大きな区分けで言えば、絶望的状況から地球に帰還した強いヒロインを描いた映画ということになるのだろうが、この映画が描きたいのは、繋がっていること、何かに束縛されていることの重要性ではないか。それは命綱であったり、地上から聞き取れた無線の中の犬や赤ん坊の声、究極には重力と、全編を通して何かにつながっていることの重要性が描かれるである。どんなに自由を求めたとしても、全くの自由というのは意味がない。何かに束縛されていたり、気持ちや物理的に人と繋がっていることがあるからこそ、そこから自由になることに魅力がある。すべてが自由であれば自由に魅力なんてないのだ。本作は普段は気にすることもないこの重力でさえ、じつは人類にとっては非常に大切な束縛であるということに気づかせてくれる。流れ着いた無人の泥浜で足を踏みしめ、重力のありがたさに笑みを浮かべ、それをしっかり感じて立ち上がったところで出るラストの「GRABITY」の文字。じつにかっこいい終わりかただ。
壊れた宇宙ステーションにあれだけガツンガツンぶつかりながらも宇宙服が破けないとか、多少演出過多のドラマ部分があるが、概ね大袈裟な演出は控えており、リアリズムを追求する姿勢が好ましい。出演者がほぼ2名というかなり地味な映画だが、日本でも結構ヒットしている。一流の映画人がこの地味な映画を作り上げたというところにアメリカ映画の良心を感じる。