「時をかける少女」06年日 評価4 メジャー度3

監督:細田守
出演:アニメ

 映画版のオリジナルは原田知世主演の83年のものだが、原田知世自身に興味をそそられなかったこと、当時、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」と同時上映の扱いで、まんま角川のアイドル映画というイメージがあったため、全く興味なく、スルーしていた。ところが、このアニメ版は純粋に評価が高いこと、今年から購買し始めたマニア系映画雑誌「映画秘宝」の特集で、オリジナル版もかなりコアなファンが多いことを知り、高校生がタイムトラベルするという、私の好きなファンタジー系の作品でもあり、鑑賞してみたものである。

 高校3年生の真琴は活発ではあるが、将来に特に夢もなく、なんとなくその日その日が楽しければ良いというような普通の女子高生。医者の息子で勉強のできる功介と1学期から引っ越してきた、謎の多い千昭といつも3人つるんで遊んでいる。1学期も終わろうというある夏の日、自転車のブレーキが壊れ、電車に突っ込むのを免れない状態になった時、時間が戻り、真琴はタイムトリップする能力が備わったことに気づく。しかし真琴はその能力を、何時間もカラオケをしたり、プリンや焼肉を食べたりというどうでもいいことに使用。ところがその能力を使う弊害が次第に明らかになっていくことにより、真琴の心にも変化が訪れるが、ついに取り返しのつかない事態となる。

 何度となくテレビ化もされているので、オリジナルまたはテレビ版を見ている人にとっては、原田知世が演じた芳山和子が真琴の伯母さんとして登場したり、オリジナル版で重要な要素だったラベンダーが和子の仕事場にあったりと、オリジナルに対する心使いを感じることができるが、一方、千昭が未来からやってきていることもすぐにわかってしまうので、以前に見ていることがいいとも悪いともいえない。

 「時をかける」を英題で「Leap」(跳ねる)と表現しているとおり、真琴は跳ねる跳ねる。原田知世バージョンとは間逆の女子高生像は、今の時代にマッチしているし、それが映画自体の躍動感に結びついている。設定が全く同じではないものの、過去の何らかのバージョンを見ている人が多いため、監督も苦労したと思うが、濃淡のない絵と自然な会話も、最近の高校生っぽい脱力感、無関心さをよく表現しており、現代版として違和感のない仕上がり。また、高校生の淡い恋愛感情というのも主題の一つで、メッセージ性を薄めているのは意図的なのかと思うが、自分の都合の良いように、自分がいやなことは避けて生きるということは、結局回りにも迷惑をかけ、自分自身にとっても良いことではないというのが、メッセージといえばメッセージか。

 タイムトリップする物語に辻褄が合わない部分が存在するのは致し方なく、そこを細かくつつく気はないが、いずれ未来に帰るつもりの千昭が真琴にコクるのは意味不明だし、千昭が未来からこの時代に来た理由が「え?そんなことで・・・?」という内容なので、未来へのつながりという観点での物語の深みが足りなかったのは残念だ。