「ハウルの動く城」 04日本 評価4.5(5点満点) メジャー度5

監督:宮崎駿
出演:アニメ

 中世ヨーロッパのような(『ラピュタ』や『魔女宅』と同じ雰囲気)ある街。帽子屋の縫い子であるソフィー(設定では18歳のようだが、声質、落ち着き方から20代中頃くらいに思われる)は、死んだ父から受け継いだ帽子屋を切り盛りすることのみの毎日を地道に暮らしている。隣国では戦争がはじまっており、ソフィーの国の軍隊出征の日、彼女は路地裏で魔法使いのハウルと出会う。家に帰った後、ソフィーは、ハウルをライバル視している”荒地の魔女”に魔法をかけられ老婆になってしまい、魔法を解けるのはハウルだけといわれたソフィーはハウルの動く城に向かい、掃除婦として城に住み込み始めるのだった。

 「みんなのシネマレビュー」では結構評価が低く、あまり期待していなかったというのが観る前の正直な気持ち。「シネマレビュー」の評論の中では”ストーリーが支離滅裂”、”ソフィーが老婆になったり元に戻ったりどういうこと?”という内容がかなり目に付き、宮崎駿の一人よがり映画なのかなと思いつつ鑑賞に入った。

 え?いいじゃない。素晴らしいじゃないの。『魔女の宅急便』以降、とりあえず観ておこう的な位置づけになった宮崎駿作品だが、これはそれ以降の沈滞を一気に払拭するほどの出来だと思うが。まず、前述した評論に対して反論しておくと、多分場面展開や確かにソフィーの外見が変わることにより支離滅裂という印象になるのかもしれないが、舞台は街に平気で魔法使いが住んでいるような世界。人々の間でも魔法使いが誰々の心臓を食べたという話題が平気でのぼっている。そんな世界なのだから、急な場面展開だとか扉を開ければハウルの少年時代とかということを突き詰めて考える必要はない(『2001年宇宙の旅』のラストを人類の知識の中で理解しようとするのと同じような愚考)。映画の中の世界観で観られれば、ストーリー展開はむしろわかりやすい。また、ソフィーの外見の変化だが、これは明らかにかけられた魔法が”自分の心の年齢がそのまま外見になる”というものであったことに起因する。これがわからないって・・・もう少し考えて観なさいよ。結局「シネマレビュー」の評論者たちの中にもかなり低俗な輩も多いのだなとがっかりした。

 映像は今までどおりの肌理の細かさに加え、CGとの一体化にも成功している。またキャラクター造成も今までの二番煎じ的なところはないし、後半のハウルを救うためにソフィーが行動するときのシークエンスの展開は凄まじく、アニメとしての極限を観た感じすらする。ラストにはハウルとのキスシーンもあり、きちんと大人の恋愛を描いたものになっているのも脱皮を感じさせた一こま。

 また、内容的にもソフィーの人間としての成長、ハウルが「自分の心の弱さに何とか打ち勝ちたい、何かきっかけがほしい、それが愛するものの存在であるのだ」と悟るまでの心の流れが単純すぎるほどよく描けていると思う。

 と、素晴らしいのだが一点、人間たちが行っている戦争はどうも魔法使い界の頂点に立つサリマンが影で操っているのだが、ハウルが心を取り戻したのを知った瞬間に戦争を止めることにする。結局自分の後継者と見込んだハウルに心を取り戻してもらうために戦争をしていたのか、その点がちょっと不可解であったため満点にはならない。ただ、あと何回か観るとその辺がわかってくるのかもしれない。それぐらい奥深い映画だとも思う。